当教会の聖堂が有形文化財に登録されました


2005年10月長野市文化財課の方々の来訪があり、長野市として聖堂を有形文化財として文化庁に登録を申請したいので、資料の提出を求められました。

聖堂はすでに1980(昭和55)年、日本建築学会が明治から太平洋戦争前の建物の中から日本全国で貴重なものとして選んだ約2000棟の一つになっていました。今回の登録文化財という制度は国が文化財をゆるやかに守りながら、積極的に活用していくというねらいなので、指定文化財(国宝など)と異なって強い規制がかけられません。

◇長野市が有形文化財として国に申請した理由はどんなものだったのでしょう。登録文化財にあてはまる建築物は建築されてから50年が経っているものの中で、@その土地を知るのに役立つようなもの、歌や絵画でよく知られているもの、A優れたデザイン、有名な設計者や施工者によるもの、時代や建築物の種類の特徴を表しているものB現在では珍しくなった技術で作られていて、再現することが難しいもの、が登録されるのです。

私たちの聖堂はこの内のどのような基準で選ばれたかといいますと、Aと考えられます。 

◇「長野聖救主教会は煉瓦造平屋建で、明治31年(1898)に建てられた。この教会は、本格的なゴシック様式による建築である。ゴシック様式の特色として、まず開口部のアーチの形状が先の尖った尖頭アーチであることが挙げられるが、この教会ではそれがふんだんに使われている。また、ゴシック建築においては、垂直性を強調するために屋根の傾斜を強くするが、それもこの教会にはよく表れている。そして側面はゴシック建築の構造上の特徴である、構造補強と垂直性の強調のための「バッドレス」を見ることができる。内部においては天井はなく、小屋組みを見せる造りで、大きく広い空間を演出している。出入り口の上部や側面の窓には、ステンドグラスがはめ込まれている。
この教会の設計から監督まで手がけたのは、日本聖公会の宣教師、J・G・ウォーラーである。ウォーラーは煉瓦の焼き具合を確認するために、自身が木槌を取り、慎重に一つずつ叩いたという。材料は地元で調達されたが、「内部の木材の一部はカナダから輸入されたと言われている」と付記されてますから、日本におけるゴシック建築様式のモデルという評価でしょう。
1995年(平成8)この制度が施行されてから登録されたキリスト教関係の内、聖公会の教会堂は私たちの救主聖堂を除いて以下の8件です。

◆山形聖ペテロ教会堂・木造平屋1910年(明治43)
◆宇都宮聖公会・鉄筋コンクリート1932年(昭和7)
◆熊谷聖パウロ教会堂・煉瓦造・1919年(大正8)
◆川越キリスト教会堂・煉瓦造・1921年(大正10)
◆大阪川口教会堂・煉瓦造・1920年(大正9)
◆和歌山橋本教会旧礼拝堂・木造・明治初期、1900年(明治33年改築)
◆東京諸聖徒教会堂・鉄筋コンクリート・1931(昭和6)
◆京都聖三一教会堂・木造・1930年(昭和5)

救主聖堂は、煉瓦造1898年(明治31)です。聖公会関係では、登録するに十分な条件がある建築物がまだ多くあると思われますが、上記の建物のなかでは、もっとも古いものといってよいでしょう。

◇しかしこの制度の趣旨のように、私たちはただ歴史を誇るのではなく、先輩達が守ってきた建物を、その存在が具現しているミッションのために、さらに積極的に活用することを求められているのではないでしょうか。

歴史委員会