「信徒奉事者による分餐」式文解説 はじめに  この式文は、近年の聖職数の減少に伴い、主日に聖餐式を行えなくなっている共同体が数多くある現実に鑑み、司祭不在の主日礼拝をどのように守るかという一つの提案として作成したものである。具体的には、岡谷聖バルナバ教会の礼拝で用いることを念頭において作成されたが、同じ悩みを持つ他の教会でも参考となるものを含むと信じるものである。  当教会は、過去に何度も定住教役者不在という時期を経験しているが、主日に信徒のみで行う礼拝として信徒が守ってきたのは、「朝の礼拝」である。その際にどうしても、「元気が出ない」という気分を禁じ得ないのが正直なところであった。朝の礼拝の重要性は改めて言うまでもないが、それはそれとして、主の復活につながる祝日である主日に聖餐の恵みに預かれないということは、ただでさえ意気消沈しがちな小さな教会の信徒にとって大きな痛みである。  現在、中部教区はさまざまな困難の中に置かれている。その一つとして、聖職が減少し、これまでのように一教会に一人ずつの定住教役者を派遣するという体制に無理が生じていることがあげられよう。しかし、このことをネガティブな要因として捉えるだけでなく、このような試みを通して、個々の共同体が生き生きとした喜びを自分たちで生み出して行く過程での、一つの神からのチャレンジであると受け止めたい。  この式文で行われているような礼拝は、すでに世界各地で一般的に行われているものであり、ランベス会議においてもこのような形式を念頭に置いた決議がされている。また、日本においても、聖公会に比較的近い典礼の形式を持つカトリック教会では、バチカンから交付された式文をもとに日本語の式文が制定されており、かなり広く行われている。  この式文に限らず、すべからく典礼というものは、実際に行われ、祈られる中で、自然にふさわしい形式が生まれてくるものであると信ずるがゆえに、十分な検討を経ていないことは承知の上で、この式文を実際に用いるための手続きを開始することにした。趣旨をご理解のうえ、ご配慮を賜りうれば幸いである。 全体の構造 この式文全体は、 * 開祭 * み言葉 * 感謝 * 交わり * 閉祭 という構造の元にある。 参入 「主イエス・キリストよ」という、聖餐式に特有の参入をあえて取らず、朝の祈り等で用いられている「栄光は、父と子と聖霊に」を開式の挨拶にした。 聖語 み言葉を中心とした集まりであることを明確にする意味でも、聖語をもって会をはじめることは意味のあることであろう。内容については、朝の礼拝のものをそのまま用いた。 司式者の挨拶 懺悔に先立ち、ここで司式者が会衆に対して簡単に挨拶をする時間を持つことができることにした。一つには、この集まりが聖餐式の代用品ではないことを明確にするため、その日に主任司祭、管理司祭がどこで聖餐式を捧げているかを会衆に告げ、会衆はそのことを覚える機会とすることができる。また、この式文に習熟していない参列者があるときには、この集会の趣旨について今一度注意を促すことも薦められる。もちろん、その日が特有な主日であるときには、その意味について説明することも適当である。 懺悔と赦しの祈り 赦罪権を持つ司祭が司式しない式であるから、朝の礼拝の中で用いられる懺悔を式のはじめに用いることとした。この式では奉献にあたる部分がないので、聖餐式の式文とは位置が異なっている。 特祷 当日の特祷を用いる。 み言葉 本式文の一つの中心となる部分であるから、朗読者は十分に準備して朗読に臨むことが望ましい。また、基本的には説教が行われないので、み言葉それ自体をして語らしめることを大切にするためにも、朗読後に沈黙の時間を取ることが特に薦められる。 勧め 執事がこの式を司式するのであれば問題はないが、信徒が司式する場合、本来説教は聖職に留保された勤めであることに留意し、説教の代用品と受け取られないような内容であることが望ましい。その日の聖句について、黙想のヒントとなることがらを短く述べ、あとは沈黙のうちにみ言葉を味わうというような形式が薦められる。 使徒信経 信徒が中心となって行う式であることを考え、ニケヤ信経ではなく使徒信経を一同で唱えることとした。 代祷 代祷こそ、信徒が中心となって行うこの集会にふさわしい祈りである。司祭不在の共同体を真に社会の中で共同体たらしめるためにも、十分な準備をして行うことが望まれる。 感謝 奉献(=パンとぶどう酒の準備)は、聖餐式に特有の要素であるのでこの集会の中では行わない。 み言葉を聞き、それに対する応答として、主に賛美・感謝の祈りを捧げる。その形式として、古来より用いられてきた詩編や賛歌を用いる。聖歌を用いることもふさわしい。 この部分は、聖餐式の中の奉献とは異なる部分であるから、そのことを十分に意識しておくことが必要である。特に、祈祷書188ページ以下の奉献唱は用いてはならない。 献金を集める場合、朝夕の礼拝の規定に倣って、祈祷書172ページの祈りを一同で唱える。 主の祈り カトリック教会の式文では、「み国も力も栄光も」以下の部分は唱えないことになっているが、聖公会ではこの部分までを主の祈りに含める理解が一般的と思われるので、この式でも省略しなかった。 平和の挨拶 平和の挨拶は、聖餐式の式文では奉献の前に置かれているが、この式文では奉献を取り入れないので、位置としては交わりの部分に置かれるのが適切である。私たちの交わりのうちに臨在される主を実感するのにふさわしい挨拶の方法を、各共同体ごとに自由に工夫するとよい。 挨拶に先立つ司式者の祈りは、聖餐式の参入の唱和をもとに、平和の挨拶にふさわしい内容にアレンジしたものである。 祈り この集会においては、現状では分餐を行なうことが許可されていない。が、聖餐式が行われない時・場所にあっても、聖餐式において臨在される主イエス・キリストによって私たちが養われるという、今その恵みのなかに私たちがいること、祈りのうちに私たちが世界に広がる全教会と一体となり、その交わりのうちに臨在される主イエス・キリストの励ましの力を、今聖餐式を行なっている世界中の兄弟姉妹と共に分かち合っていることを、黙想の中に思い起こしたい。 閉祭 祝福は司祭に留保されている事柄なので行わない。 集会を閉じるにあたっての祈りとして、後半は新しく作成したものである。いずれも、この式の中で受けた恵みとともに、ひとりひとりが自分の場所へと遣わされていくにあたっての祈りである。 作成:1997.11.23 第一版 1998.8.15 陪餐なし版