2005年平和宣言

 今年、日本は戦後60年を迎えました。日本は、かつて約15年間にわたりアジア・太平洋地域を武力侵略し、苛酷な植民地支配を行ない、2000万人とも言われる大きな犠牲を強いた戦争を引き起こしました。敗戦後、多くの日本人は、二度とこのような悲惨な戦争を繰り返してはならない、戦争のない平和な国を築こうという願いの下に日本国憲法を誕生させ、平和と自由を重んじた民主主義国家としての道を歩んできました。

 しかしながら、近年の日本においては、これまで築いてきた平和と自由の理想が大きく揺らいできています。様々な局面において「戦争ができる国家」づくりが進んでいることを危惧いたします。

 1999年、「国旗・国歌法」が成立して以来、殊に教育現場では「日の丸」「君が代」の押しつけや教師への圧力が急速に強まっています。また過去の戦争と植民地支配を美化した内容の歴史教科書の登場や滅私奉公を彷彿させるような内容が提唱されている教育基本法の改悪などによって、子どもたちに対して国家主義的な教育を押しつけようとしています。また市民生活においても同様です。盗聴を目的とした通信傍受法、私たちの人権や自由を著しく制限する有事法、或いは個人情報を管理しようとする住基ネットや個人情報保護法など、市民生活に対する監視も強化されています。

 こうした国家主義的な傾向は、殊に小泉政権の誕生以来、ますます加速していると言えます。去る10月17日、内外の強い懸念にもかかわらず、小泉首相は、就任以来5年連続で靖国神社を参拝しました。靖国神社は、国家及び天皇のために殉じた軍人・軍属を祭神とする宗教施設であり、またいわゆるA級戦犯を祀っていることもあり、国家の責任者が参拝するには相応しくないとして、アジア各国からも批判されてきました。また国内的にも、9月30日に大阪高裁にて首相の参拝に対して違憲判決がくだされたように、明らかに政教分離の原則(憲法第20条)に反しており、国家の長自らが憲法擁護義務(憲法第99条)を放棄していると言わざるを得ません。

 また先の衆院選挙で自民党が圧勝し、その数の力を背景に、平和憲法を改定しようという動きが活発になってきています。改憲の目的が、「戦争の放棄と軍隊の放棄」を謳った憲法第9条の改定にあることは間違いありません。明らかになった自民党案では第9条2項を改定して、自衛軍を創設することを提案し、海外での軍事行動を正当化しようとしています。

 もしも、憲法がこのように改定されれば、日本はますますアメリカの世界戦略に組み込まれ、結果的に世界各地に軍隊を派遣することになり、再び、他国の人々との戦火を交える可能性が高くなることは明らかです。

 日本国憲法は、近代日本が犯した侵略戦争という過ちによる多くの犠牲とそれに対する深い反省に基づいて作られた憲法です。殊に憲法第9条には、私たちの国は二度と戦争の加害者にも被害者にもならないという決意が込められているのです。過去60年間、日本の兵士によって殺された人間が世界中に一人もいないということは、実に誇るべき事実だと言えます。私たちはこの誇るべき歴史を今後も継続しなければなりません。間違っても、日本が再び他国の人に対して銃口を向けるような事態を受け入れてはならないのです。

 1996年、日本聖公会第49(定期)総会は「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」を決議しました。その中で、私たちは「戦前、戦中の日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持、黙認した責任と戦後も自らの責任を自覚しなかった誤り」を告白すると共に、「神の民として正義を行なうことへと召されていることを自覚し、平和の器として、世界の分裂と痛み、叫びと苦しみの声を聴きとることのできる教会へと変えられること」を祈り求めました。また、昨年2004年に開かれた日本聖公会第55(定期)総会では、憲法第9条の改憲に反対する決議文を採択し(決議第27号)、全教会及び各政党に配布し、日本聖公会としての姿勢を内外に表明しています。

 また中部教区におきましても、日本の侵略戦争と植民地支配によって犠牲を強いられたアジアの国々の諸教会との信頼関係を回復するため、1995年から4年間にわたり大韓聖公会ソウル教区との協働関係を結び、相互交流を行ないました。そして昨年からはフィリピン聖公会北中央教区との協働関係を結び、相互の理解と交わりを深めようとしています。

 このような歩みを通して、私たちの教会もまた、そこなわれたアジアの諸教会との関係を回復し、信頼を深め、人と人との絆を強めたいと願ってきました。しかし、今の日本が向かっている国家主義的な傾向と軍事化の方向は、そのような私たちの願いや努力を打ち砕いてしまいます。

 戦後60年の節目にあたり、私たちは、神様の前で、あらためて悲惨な戦争を二度と繰り返さないという決意を明らかにしたいと思います。私たちは平和を踏みにじるあらゆる動きに対して目を覚ましていることが求められています。私たちは、私たちの子どもたちのため、世界の友人たちのため、そして私たち自身のため、平和を求めるすべての人々と共に、主にある平和の実現を祈り、求めて参りたいと思います。

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書第2章4節)

以上

日本聖公会中部教区第75(定期)教区会

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(c)NSKK Diocese of Chubu, Last updated on 3/7/2006