日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
日本聖公会学生運動発足とその歩み
関本 肇
日本聖公会学生運動の発足とその歩み

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米・英留学

 外国留学の話は前からあり、聖堂を建てるまでと保留していたが、米国聖公会代表部のケンハイム司祭の親切な勧めで、ヴァージニア神学校に行くことになった。旅費はフルブライトの試験にパスしてケンを喜ばせた。ケンの計画は、5月に日本を出て、学校は始まる半年前にアメリカ西海岸に着き、彼の紹介状を持って先ず一ヶ月バスで大陸横断をして、観光を兼ねて五つのポイントで滞在、次には6月開始のミシガン大学の英語の集中研修で3ヶ月、と言う挑戦である。私は喜んでその挑戦をこなすから、米国留学の期間を利用して、日本聖公会に学生運動を育てる資金集めがしたいとケンに頼んだら、大いに賛成してくれ、紹介状と、具体的な助言とをもらった。

 旅の話をすると切りがない。とにかく1958年9月にヴァージニア神学校が始まったが、2年間の修士課程である。必要な数の単位を取得し、学位論文を書けばマスターは取れる。私は一年でやれると思ったのでアドヴァイザーの教授に自分の構想を話したら、それを教授会にかけてOKが出た。この教授はチャーリープライス司祭で、その後ハーヴァード大学の、「大学チャプレン」になった秀才である。先年、彼が定年退職後日本に来たとき、私は彼が指導教官として最初の学生だったとのこと、チャーリーが教授会で私のために頑張った話を聞いた。とにかく、そんなことで、後の一年は英国の聖オーガスチン校に行く手続きをして、米国にいる期間を精一杯利用し、私はワシントンDCからニューヨークに関係者を訪ね、もっぱら日本の状況と学生運動の可能性をアピールして歩き、遂に学生運動のための資金を用意することができた。 The Society for the College Workと言う聖公会の団体が、毎年3000ドルを約束してくれたのである。9月に英国に飛んだ。米国に比してとても地味に見えた。しかし、歴史と文化の質の違いは比較を絶するものである。聖オーガスチン校は、13世紀のベネヂクト修道院の遺跡の上にあった。

学生運動の資金

 まだ日本は敗戦後の貧しさの中にあったし、教会に人は沢山いたが、経済力はなかった。しかし、学生運動のためにはある程度の経済援助がいる。1ドル360円の時代であるから、約束の経済援助はありがたかったし、これによって計画と実施の具体案を作ることもできた。私はこの団体の好意を感謝して受けたが、団体自身も拠金しながらの運営であるので、数年後、この援助をアメリカ聖公会の年間予算に計上し、年間4000ドルにしてもらった。さらに日本聖公会の学生運動がカナダからの宣教師たちとの関係を深めたので、これをカナダ聖公会よりの年間協力予算に鞍替えしてもらい、最後に、すべてこれら海外諸教会の協力援助が打ち切られるときには、カナダよりの宣教師住宅を譲り受け、その売却費4000万円を日本聖公会学生運動の基金として、聖公会管区勘定のなかに入れ、その利息で学生運動の必要経費を多少ともカバーすると言う事で現在に至っている。ケンハイムとカナダのドンクラーク司祭の深い理解と、好意には、今も心から感謝している。

スイス・ドイツ・フランスヘ

 私は1960年、英国から日本に帰る前に、スイスのジュネーブのWCCとWSCFで、北川台輔さんに頼んで、私自身の関心で、エキュメニカル部門や、またWSCF(世界学生キリスト者連盟)の活動について約2ヶ月学び、その間に北ドイツのカッセルでメノナイトの学生たちとワークキャンプをしたり、その後6月に開かれたストラスブルクのWSCFの総会に日本からの代議員として出席した。

 ここでの課題は、教会とSCMとをどう調和的に理解するかと言うことで、簡単に言えば、教会の生命の形成と、教会の生命を磨り減らすミッションとの葛藤を、神学的に、また現実的に研究することであった。この「教会の生命と使命」研究の進展については後述する。

 私は少しばかり英語にも慣れて討議にも参加できるようになったが、米英での留学を含めて海外での諸経験を通して、日本におけるキリスト教を、日本人として担うことの重大さを感じ、また考えるようになった。一言で言えば、私の中に植え込まれていたカトリック主義、ハイチャーチ志向はエキュメニカルな関心に変貌すると共に、視点が欧米中心からアジアに向けられたと思う。ストラスブルクでのWSCFでは、当時国交のなかった韓国からの学生たちと、終戦後初めての日韓学生会議を開いて親交を確かめる事ができた。母国を離れた異国での東洋人同志の出会いを互いに抱き合って確かめたことである。さらに香港、フィリピン、シンガポール、ビルマから参加の学生たちと積極的に個人的な交流を深めることに努め、これら諸国の学生キリスト者とも交わりを緊密にし、さらに発展させるために近い将来に訪問することを約束した。若いと言う事は素晴らしいと、今改めて感じている。

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