日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
日本聖公会学生運動発足とその歩み
関本 肇
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おわりに

 私は1995年3月、定年退職してニューヨークから帰国した。本年73才である。日本聖公会の学生運動との関わりを振り返って、よくもまあ飽きもせずにやってきたものと思う。私の本業は牧師である。一体どんな牧師だったのか。いや、私は、幼稚園の園長でさえあった。どんな園長だったか。自分ではなにも言えぬ。まだまだある。教師でもあった。ある時期は、教職員組合との団交に揉まれもした。そして、京都教区でも沖縄教区でも、やたらに雑用が多い。

 その中にあって、私の関心はエキュメエニカルな教会一致の実践にあった。カトリックのバチカン公会議が1962年に始まる5年前から、京都エキュメニカル・スタディ・グループを初めて、宣教師を中心に、英語が共通語だったが、とても密度の濃い研究ができた。バチカン会議が始まってカトリックのシスターが多数参加するようになって、このグループは解散し、カトリックが京都キリスト教協議会に参加し、風通しのいいエキュメニカルな交わりが生まれた。毎年1月の教会一致祈祷週間のプログラムは、その頃始まったかと思う。神父や牧師、シスターたちとの親しい交わりは、今も続いている。やがて、他宗教との関わりができ、それが熟して宗教者平和会議や、宗教者平和祈祷集会になり、諸宗教の代表者30名と一緒にニューヨークに出掛け、当地の諸宗教代表者と「平和宣言文」を作り、国連事務総長に手渡す事もした。ニューヨークでは、専らユダヤ教の世語になった。ハレムの真ん中にあるバプテスト教会の熱狂的な礼拝に参加した。

 私が今、キリスト教諸教派や、他宗教にたいして自由に関われるのは、学生運動のお陰と思っている。いやSCMを通して、私は実に豊かに、溢れるばかりの養いを受けた。彼らはその時々に、自らよしと感じるところに精一杯のエネルギーを注ぎだし、吠え猛り、格闘し、しばしば失敗し、時に挫折もする。賢い人間は、それを愚かと見、人生の浪費と言うかもしれぬ。良いではないか。これこそが人生に於ける壮大にして華麗な祭りである。祭りにはしかし、自ら定めたルールがあり、法がある。スポーツも同じである。この人間が自分に課した規範が、自由の基盤である事をSCMは心得ていた。でなければ、直感していた。だから、あの主体的で積極的な行動ができたのである。私は今、ジョン・ロックや、丸山真男の自由主義を論じるつもりはないが、この自己立法のうえの自由こそ聖公会の輝きだと言っておきたい。毎年のファカルティ カンファレンスの常連である永岡先生が、繰り返してアナーキーを引き出すトマス・ポップスでなく、ジョン・ロックの英国教会、そして聖公会を賛美する意味を噛み締めたい。しかしここは論議の場ではなかった。私が言いたかったのは、私のキリスト教学生運動との50年は、学生と共に過ごした祭りであり、言葉の正しい意味において遊びであったと言うことである。これで50年の回顧は終わる。私をここまで引っ張ってくれたのは、編集者の島田麗子さんである。感謝して稿を閉じたい。

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