日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
学生運動から名古屋学生センターへの発展.4
塚田 理
日本聖公会学生運動の発足とその歩み

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4.終わりに

 最後に、学生センターの創設に係わった者の一人として、これまでの経緯を振り返りながら、これからのセンターの歩みについて一言述べて見たい。

 そうは言っても、名古屋センターを離れて既に 40年を迎え、また時には日本聖公会SCMにも関わってはきたものの、運動の現場から大きく離れてしまい、その間、現実の方が大きく変わってしまっている。また、前述の様な事情でセンターから離れた負い目もあり、他方では世代の交代のためにも、自分の方から余り積極的に関与しない方が望ましいと考えて、これまでセンターの活動には殆ど関与することがなかったので、実際には語るべきものを持っていないというのが実感である。結局、老いの繰り言になってしまうが、心の奥底では、初心を貫けなかったことに慚愧の思いのあることを否定できない。従って、ここで言えるのは、昔の思い出と、現在自分が日常に関わっている大学の現状との関連の中から語ることになる。

 ともかく、この40年間に大学の実体が大きく変わってしまった。学生センター構想の趣旨では、「大学は真理探究の営みの中から生まれてきた」としているが、40年前でもそうであった以上に今日の大学の多くは実学主義に傾き、一種の専門学校化して来た現状がある。勿論、私自身もこのような傾向に対して批判的であり、自分の勤務する立教大学では教会と大学の使命との根源的な共通点を追求し、「キリスト教に基づく教育」、即ちいわゆる「リベラル・アーツの教育」(全人教育)を目指すことの中でこの原点に立ち返るべきことを強調しているが、今後ますます多くの大学は社会の動向に合わせて高度の実業的、専門技術教育の方向に傾いていくであろう。

 他方、学生の資質や志向も大きく変わってきたことも否めない。今や大学のユニバーサル化(同一年令層の大学進学率が50パーセントを超える状況を示す)によって、大学教育は嘗てのエリート教育から大衆教育へと変貌し、名古屋学生センターが創設当時から投げ掛けて来た「大学教育の基本理念は何か」という問いを真剣に受けとめ、これを反省自問する教員も学生も全くの少数者となってしまった。

 更に、社会全体の流れと共に大学も世俗化の傾向を迫り、この現状に直面して教会はますます敗北主義者となって、大学の中に宣教活動のために「出て行く」姿勢を教会は失っているように見える、これは具体的には、敢えて自分の知っている限りで言えば、立教大学へのチャプレン派遣依頼に対する多くの教区主教達の応答の姿勢にはっきりと見ることができる。主教達は、大学チャプレンとして優れた候補者の派遣を渋り、あるいは神学教師の後継者の養成を真剣に考えているようには思わない。このような姿勢を続けて行く限り、教会はますます大学の外に追いやられ、大学内での運動どころか、「大学の基本理念は何か」などという問いを発する者すら大学の中にいなくなるのもそれほど遠い将来とは思わない。要するに、教会はすっかり敗北主義者となり、我々人間社会の将来を担う次の世代に殆ど希望も期待も抱いていないかのような印象を受ける。

 以上のような私の現状認識は間違っているだろうか。しかし、同時に、振り返って見れば、教会はいつでも敗北主義者となる立派な理由と社会的状況に直面して来たと私は考えている。

 確かに、私達が学生センターの創設当時にやっていたような研究会のようなものを今やったとしても、学生達からはそっぽを向かれるかも知れない。しかし、だからと言って、学生のすべてが学生センターが当初から掲げてきた設立の趣旨に盛られた課題に直面することを拒否しているとは、私には思えない。確かに少数かも知れないが、もし我々が適切な方法や場と言葉で問いかけるならば、今でもこのような課題に真剣に答えようとする学生達が存在するし、実際、過去においてもこのような学生は決して多数であったわけではない。

 私は学生センターの掲げてきた目的は今も生きているし、また生かして欲しいと願っている。勿論これは昔通りにやれば良いということではない。確かに問題提起の仕方や方法は異なるはずであろう。これには創意と工夫も必要であるが、基本的にはもう一度敗北主義から立ち直り、「出て行く」姿勢を回復する勇気と、創造的意志と工夫が必要であろう。

 実は、まさに名古屋学生センターが創設当初から問いかけて来た課題が、最も今日的な大学の課題となっているのである。それは一つには、日本の大学は戦後の新制大学における「教養課程」で目指した大学の理念を現実に消化できずに、今やすべての大学において「教養課程の崩壊」という危機に直面している。こうして、これからやってくる大学競争時代における生き残り作戦は、一方では「教養課程」が目標とした「真の全人教育の追求」を回復できるかという課題に応えて、リベラル・アーツの教育を根幹に据えた大学、真に「大学」の名に値する大学であるとして生き残ることができるか、それともこれに失敗した大学は「高等専門職業技術学校」として勝負を賭けて生き延びをはかることになる。そして私の見るところ、多くの大学は後者の途を迫ることになるであろう。しかし、これはさほど驚くごとではない。なぜなら、もともと日本の大学の多くは、そして殆どの国公立大学の創設以来の実態は後者であったからである。このような有名大学の出身者達が汚職や利権の権化となり、他方では幼稚な宗教集団に引き込まれて社会的諸事件を引き起こしていることは周知の通りである。このような現状であるからこそ、名古屋学生センターの大学人に対する問題提起はますます適切性を持っているのである。

 そしてこのような日本の状況の中では、「リベラル・アーツの教育」を重視する「真の大学」として生き残るためには、まさに「大学はいかなる理由で政府の統制から独立すべきか」という問いに直面しなければならないのである。日本の大学は、明治以来「富国強兵」、そして戦後は「経済大国」を目指した国家的要請に応える形で「護送船団方式」という国家(文部省)統制によって保護育成されてきたのであるが、今や政府も思わぬ速さでやってきた少子者社会の出現と雨後の竹の子のように出現してきた大学の設立によって、もはや「護送船団方式」は崩壊し、政府の意図とは係わりなしに、現実には政府の統制にもかかわらず「大学間の競争」という事態に立ち至っている。

 勿論このような現実を避けられるかのように、未だに文部省のお墨付きである大学設置申請、許可の行政的統制は続いており、この意味では依然として「政府の統制」や「社会的要請」を頼りにしているのが大学の実績であるが、このようなお墨付きは単なる一枚の「ホゴ」に過ぎなくなる時が 10年足らずにやって来るであろう。このような大学の実態こそ、依然として名古屋学生センターが問いかけるべき課題なのである。

 「大学はいかなる理由で政府の統制から独立すべきか」という問いに対する答えは、大学の使命である真理の探究の営みは本来あらゆる人間的統制から自由でなければならないからにほかならない。従って、政府の統制や社会的要請を頼りにして、真理の探究を疎かにする大学は敗者となり、高等専門職業技術学校としてのみ生き残ることになる。これは嘗て野尻湖キャンプで大須賀潔先生が「近代の社会は技術を持った人間を必要とし、この大きな資本主義社会の機械の一部となることを我々人間に、又大学の学生に要求している。大学は単なる職業学校と化し、神もなく人もない場所に成り終わっている」、として「この問題に関わらねばキリスト者学生運動の生命はない」と指摘された現実が一層深刻に私達に迫っていると言うべきであろう。

 こうして、名古屋学生センターの存在理由は依然として有効である、と私は確信している。従って、センターが決して敗北主義に陥ることなく、この確信の上に立って、設立の目的を再認識し、設立当初と同じように暗中模索、あるいは試行錯誤を繰り返しながら、これからも大学に対し、教員・学生に対して問いを発し、その解答を共に模索する再出発の作業を進めて欲しいと願っている。

 その問い直しの最も根源的な出発点は、名古屋学生センターの設立の趣旨に立ち戻ることではないか、と思う。すなわち、それは教会と大学の接点としての「運動体」となることであって、「施設」に依存した事業をすることではない、ということにほかならない。私は「出て行く」姿勢を再確認して、その新たな道を探してほしいと願っている。

(この回想を書くに当っては、島田麗子さんと今井美令さんのお二人に40年も前の貴重な資料をお貸し頂いたことを、紙面を借りて厚く感謝したい。これらの資料を見せていただけなかったら、到底この回想を書くことができなかったであろう。塚田)

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