日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
カナダにおけるキリスト教学生運動
マージョリー・パウルス
日本聖公会学生運動の発足とその歩み

表紙ページへ戻ります
宿泊・貸し会議室のご案内
センターの場所をご案内します

2〜3歳児のための幼児グループ
子どもたちにのびのびとした造形表現の場を!

おうちから通いで参加できるキャンプ
各プログラムがどんな願いのもとに、どのように生まれ、作られてきたか。

在日フィリピン人の子どもたちに教育の機会を!
野宿労働者に仕事と屋根を!
死刑制度廃止を求める運動その他のご案内
関連サイトのご案内
あなたもセンターの会員になりませんか!?
名古屋学生青年センターはどんな団体か

はじめに

 ここに、私達6名の者、パウルス夫妻は40年代、マッチ夫妻が50年代、ゴーリング夫妻が60年代に関わったカナダにおけるキリスト教学生運動の背景を述べたいと思います。この論文の目的は、私達にとってキリスト教とはなにかを決定づけた運動の内容を示すことです。

 キャサリン・パウルス、ゴーリング・ヴィンス、ゴーリング・アン、キャンベル・マッチ、ブルース・マッチ、マージョリー・ワトソン・パウルス、セロ・パウルスは、彼らの学生時代、1930年代、1940年代に中心的なSCMメンバーでした。キャサリンとヴィンスはモントリオールのマギル大学、アンとブルースはウニベッグのマニトバ大学、そして後にはマギル大学においてです。マージョリーはウニペッグのマニトバ大学とウニペッグ大学に参加し、後に、トロントのトロント大学に参加しました。セロはマギル大学においてです。この3カップルはそれぞれ結婚相手にSCMの中で出会っています。

 その後、マージョリーはトロントの全国のSCMの事務所の一部を担いながら、マギル大学SCMの総主事に就任し、また、戦時中の臨時の本部であったトロントのWSCF(World Student Christian Federation/世界学生キリスト教連盟)の仕事もしていました。セロもまた、教区神学校の寮の主事をしているあいだパートでSCMの仕事をしていました。アンはウニペッグのSCMでパートタイムで働き、ヴィンスは初代の地域SCM総主事として、6年間サスカトゥーンのサスカチュワン大学で働き、後にトロントで全国SCMの学生主事として働きました。

 学生として、またスタッフとして、私達は多くの地域、全国、そして世界のSCMの集まりに参加してきました。カナダの、そして各地からの著名な神学者や教師たちが次々とその中から出現しました。現在もつながりをもつ学生や神学者のSCM出身者の組織が充実した時でした。

 北米ーアメリカ合衆国とカナダーの大学生によるエキメニュカルな活動は主にキリスト教女子青年会(YWCA)とキリスト教青年会(YMCA)の特別な部会から起こったといえるでしょう。それは、現在もなお様々な国において同じ状況があります。日本も例外ではありません。カナダとアメリカの学生はまた、学生ボランティア運動(SVM)の中で共に活動していました。ジョン・R・モットによって起こされたこの運動は1886年に始まりました。この運動は多くの学生達を海外宣教師活動へ献身するように励ましました。“この世代でキリストの世界を!”という標語の下に。

 第一次世界大戦後ヨーロッパから帰ってきたカナダの学生達は戦争を二度と起こさないように、あらゆる不正義をこの世界から追放させたいという希望に満ち溢れていました。彼らの理想主義は、また、自律への欲求、YMCAの企業的方向性からの独立とカナダ人としての新たなアイデンティティを求めるものでした。

 学生YMCAと学生YWCAの大会はSVM同様、アメリカに代表されるものでした。優れたリーダーシップとプログラム企画もそこにみられるものでした。1919年12月にアイオワのデス・モイネスで開かれた4年おきのSVMの大会の内容は400名の学生がカナダ各地から全国集会として集まり、カナダ人のエキュメニカルな学生の自治運動の方向性を決定するものでした。それは同時に民族を越えた国際的な交流を意味するものでした。この決議をするにあたっては、第二次世界大戦前は緊密な関係を持っていたイギリスのSCMに大きな影響を受けました。

前の頁へ