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はじめに
1966年にSCMが発足して以来、18年が経過した。その間、73年にSCMの「解消」があり、75年の(第二次)SCM再開があり、そして現在に至っている。80年代も半分が過ぎた現在、SCMが発足した当時の大学や社会の状況とは大きく変化した。教会における学生の位置も以前に比べると「後退」しているし、各地における学生の活動も活発でない。スポーツ大会をはじめとするレクレーション的なものにはよく人が集まるのに、講演会をしても人が集まらないというようなことをよく経験する(何もスポーツ大会が悪くて、講演会が良いという意味ではない)。大学においても学生の政治離れが定着している。いまや学生にとって学問や政治もデータ化、カタログ化された中から選択し、ファッションの要素にするものとして存在している場合さえある。
このような状況の中、SCMは障害者、沖縄、ハンセン氏病者、「天皇のため」の祈り、部落差別などの問題を通して教会のあり方、キリスト者のあり方を考えている。しかし、多くの学生にとっては、SCMはまだまだ縁遠い存在であろうし、SCMの存在自体を知らない学生も多数いると思う。そのSCMが転換期を迎えている。SCMの担当主事を設ける。そして、各地に連絡員を設けて各地域の活動とのつながりの強化を目指すなどの動きがでている。このような組織形態はSCMが発足した当時のスタイルと似かよっている。しかし、状況が大きく変化したことを考える時、その内容は当然以前とは異なったものにならざるを得ないだろう。
ただ、ここで注意しないといけないのは、現在の我々が今までのSCMの歩みをどう継承し、どう総括しているのかという問題を抜きにしてはSCMの転換は語れないであろうということである。春と夏にセミナーを開催するということは継承されているものの、SCMとは何かという点については最近は議論されることもなく、暖昧なままである。(第二次)SCM結成当時のSCMの位置づけさえ、我々はどの程度踏まえて活動をしているのかということを明らかにしていない。これでは運動体とは言えない。現在の聖公会における学生の活動の力量からして仕方ないかもしれないが、現在のSCMはその時々の問題意識に基づいてセミナーを開催するための活動になっているのではないだろうか。
転換期を迎えたSCMはこのことを反省し、どのようなSCMを目指すのかをこの機会に考え直す必要があると思われる。また、今がそのための好機ではないだろうか。そこで、現在のSCMの問題性を明確化するために、また今後のSCMを考える一方法としてSCMの今までの歩みを振り返ってみる。

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