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角瀬 栄/センター副主事
私はこの冬、笹島越冬炊出し活動に関わった。この活動は、日雇労働者が年の暮から初めにかけて仕事がなく、そのため食事も満足にできず、眠る所もないため寒い中で凍え死ぬ恐れがあり、それを防ぐと共に、この様な状態を少しでも改善しようということで行なわれるものである。期日は12月25日から1月10日までで、ちょうどクリスマスの日から始まるということが私に意義深いものを感じさせる。イエス・キリストは決して王の宮廷や貴族たちの豪邸に生まれたのではなく、その誕生を知らされたのも貧しい羊飼たちや当時ユダヤの人々に忌み嫌われた東方の占星術師たちであり、決して社会的地位のある人々にではなかった。つまりイエスは社会的に地位のある人々、権力者のために来られたのではなく、社会の中で差別され、貧しい生活を強いられた人々のために来られたのである。このような意味から、私はこの活動がクリスマスの日から始まる事に大変意義があると思う。そして、私は、キリスト教会がこの事に無関心でいる事に問題を感じる。多くの教会では飾りつけをし、ごちそうを用意し、多くの信徒が着飾ってクリスマス音楽を聞きながらプレゼント交換をしたりしてクリスマスを祝う。もちろん、かく言う私もその中の一人ではあるが、この様なクリスマスの祝い方が真にイエスの誕生を祝うことになっているのかどうかを考え直す必要があると思う。
さて、笹島越冬炊出し活動は、「1人の死者をも出すな」「日雇労働者の団結を強化・支援しよう」という2つのスローガンのもとに行なわれた。主な活動内容としては、毎日3食の炊出し、医療活動、テント村設置、行政交渉、夜間のパトロール等であった。この活動は笹島日雇労働者組合(準)、名古屋日雇労働者支援会議、名古屋炊出しの会、福信館炊出しの会、日本基督教団愛知地区社会委員会、医師団で組織された越冬実行委員会が中心となり、多くの人々の参加、支援によって行なわれた。
今回は比較的温暖な気候だったこともあり、少なくとも、駅周辺では1人の死者も出さずにすんだ、又、今回の大きな特徴として、暴力業者に対する抗議行動が全国規模で行なわれ、笹島の労働者たちも多数この行動に加わったことであった。この2点については評価できるものと思われる。
反省点については、細かいことをあげれば色々あるが、一番大きな問題として、今回の活動のための準備にかかるのが遅かったということがあげられると思う。このことは、中心的な参加者が忙がしい人々であることも原因の一つであるが、年間を通しての活動の中で越冬が位置づけられていない点が一番の原因と考えられる。
ともあれ、この反省をふまえて各団体がそれぞれに具体的な年間活動を打ち出し、それに着手していることは、この活動が少しづつ巾を広げ、確実な歩みを始めていることの具体的なあらわれであろう。
しかし、このことを決して過大評価することはできない。確かに広がりつつあるとはいうものの、まだまだ社会全体の中では小さなものに過ぎないのである。第7回笹島越冬炊出し活動は終った。しかし、まだまだこの活動をしなくても良いような社会にはほど遠い。この現状が変らない限りこの活動は続けられる。クリスマスから始まったこの活動。我々キリスト者は、日雇労働者をどのように見てゆくのか?彼らを弱い人間、かわいそうな人間、ああなったのはすべて彼ら自身の責任だととらえるのか、或いは、同じ社会に住む人間として我々はすべての人々と何らかのかたちで関係があることを押え、日雇労働者の置かれている状況に対して我々自身の負うべき責任があるととらえるのか?我々は、クリスマスの真の意味を考える時、我々キリスト者がどの様な立場でこの問題をとらえてゆくかという事に良い示唆が与えられるのではなかろうか?

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