日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
ジャンボちゅう兄ちゃんとの出会い
- 第4回SCM現場研修報告
初出:1982/7発行『こえ』No.3
ささしま・野宿労働者と共に
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三田 明外/日本福祉大社会福祉学部2部1年

 第4回SCM現場研修は、去る3月14日より、同22日迄「差別の社会構造と基督者」というテーマの下に生野(在日韓国、朝鮮人多住地域)、釜ケ崎(日雇労働者の街)の両地域で開催された。東北、関東、中四国等、全国から集って来た参加者達(生野10名、釜ヶ崎9名)は、昼間は労働:生野ではヘップサンダル、プラスティック、ゴム等の家内工業に、釜ヶ崎では、男性は主に日雇労働、女性は地域活動団体での手伝い(?)に従事した。一夜には討論、講演、聖書研究と云うスケジュールを通して、各々の地域に住む人々の「生きる姿に触れ、「生きる人間」と、それを取巻く「社会の在り様」の理解に努めた。

 釜ヶ崎の結核のケースワー力ーの入佐さんと釜ヶ崎を廻った時の事である。歩いていると労働者のおっちゃん達が親しげに入佐さんに声をかけていた。僕は釜のおっちゃん違とのこんな関係を一から作り上げた入佐さんを羨望と尊敬の目で見ていた。こうして歩いている内に道端でおっちゃん2人が鞄を取った、取らないで小競り合いをしているのを見つけた。何をしているのだろうと思い側に行って二人と話をしていると、身長が190センチ以上もある大きな男が乱暴に入ってきて「こらお前ら何しとんじゃ、こいつが鞄取ったてか、しばきまわせ」と言って、鞄を取ったというおっちゃんの顔を軽く蹴った。何という乱暴な事をする兄ちゃんやと思い少しびくついていると入佐さんが「あんた、そんなことしたらあかんやろ」と言っておっちゃん2人とジャンポの兄ちゃんを分けてくれたので僕はジャンボの兄ちゃんと話す事になった。

 僕が「えらいええ体してはるね」と言うと彼は「体はガタガタやし結核や」と言って腹巻きをめくって腹を見せてくれた。その腹には40センチぐらいの手術の跡が4つ程有り、全て手術の失敗でそうなったという。そして体じゅうケガだらけであり治療もまともにされていない様だった。「病院に入ってもな、まともに診てくれへんのじゃ。腹たつから俺はいつも病院出るんじゃ」と彼は言った。釜の労働者は病院に入っても人間らしい扱いを受けさせてもらえない事が多いのである。しかし、彼はガタガタの体に鞭を打って仕事に行くのである。仕事に行って銭をかせがなければ、のたれ死にする他ないからである。それから彼はワンカッブ大関と簡単なおつまみ8つずつを僕に見せ、「これは青カン(野宿のこと)して貯めた金で買うた酒やけどワシの飲む酒やない。みんなに飲んでもらうんや」と言って先程頭を蹴ったおっちゃんや年老いたおっちゃん達にふるまった。僕はそんな彼を見て何か哀しいものを感じた。見かけは乱暴だが気の弱くて優しい彼がなぜ世間からはじき出され、踏みにじられなければならないのか。それから彼は「俺はもうあと一年ぐらいや、だからええ事して死にたいねん。毎日コップに一杯血を吐く事考えてみん」と涙をボロホロ流して話し、彼の実家の住所を紙に書き、「俺が死んだらここに線香の一本もあげにきてくれや」と言って去っていった。僕は彼が「もう死ぬんや」と言っても何も言えなかった。それは彼に神の愛や社会構造の矛盾を説くことがむなしかったからである。いやそれよりも正論と言われる物が打ち砕かれ言葉が無くなってしまったという方が正しい。

 もし彼にそんな事を言っても自己満足の言葉になってしまっただろう。釜ヶ崎に少々だが関わってみて生活を飛び越えた理想がものの見事に砕れていった。そして自分を取り繕っていたものが砕かれた時、自分が無意識の内に彼らを踏みにじり差別している者の一人である事を感じざるを得なかった。僕が手配師に雇われ工場現場に行った時、「本当にこんな仕事をする人が居らへんかったらビルも道路もできへん」と強く感じたのだが、一番危険でつらく、貨金も雇用条件も最悪の状態で社会の片隅に虐げられている彼らを私達は「なまけ者」「きたない人」と言って避け、差別し続けている。

 ジャンボの兄ちゃんがいつ道端や病院の片隅でひっそりと死んでいくかもしれない現実を目のあたりにする今、「どうあればよいのか」というのではなく「それではお前はどうするのか、どう関わっていくのか」という問いかけに、私は「答える」のではなく「応えて」生きたいと思う。名古屋にも笹島、大曽根、熱田という寄せ場が私達の目の前にある。

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