日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
越冬炊き出し活動に参加して
初出:1983/5発行『こえ』No.5
ささしま・野宿労働者と共に
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清島 恒徳/堀川伝道所牧師、センター後援会員

 「私は最近、父を殺したいという気持ちを意識し、必死で抑えています。父はエリートです。父は世間の弱者、たとえば身体障害者、教養のない者、経済的に豊かでない者などを切り捨てるような言い方をして、身分、職業、外見などで人を差別します。私は社会やおとなのみにくさを、この父からまず教えられます。」高校2年生の言葉です。まことに重い言葉です。このようなひずみ、このような痛みが、私たちのまわりにうずまいているように思います。どうしたらこの痛みから解放されるのか。どうしたらこの痛みを共にわかち、担うことができるのか。私はこの冬の越冬炊き出し活動に参加しながら、問われつづけました。

 横浜での「浮浪者」に対する殺傷事件が報道されて、おとなたちは「ショック」を受けました。そして事件は、もっぱら特定の少年たちの「非行の問題」として取り扱われておりますが、それは表面的な見方です。事件の根底には「差別的人間観」があります。少年たちだけの問題ではなく、まずおとな(社会)の問題であります。矛先が親に向けられたとしても、何の不思議もないことを、先の高校生の言葉は語っています。

 「名古屋という大都会の真中にあって“越冬”とは大袈裟な。正月は毎年きまってやってくるのだし、前もって用意できないものだろうか。」はじめて越冬活動の準備会に出席する道すがら思ったことでした。しかし日雇い労働者の社会的におかれた立場を知らされた時、私は「知らない」ということが何と罪であることかを思い知らされました。「生き抜くための越冬闘争」が決して大袈裟な表現ではなく、差別された者の人権回復の闘いであることを知らされました。

 私たちの社会は流動的下層労働者階層 - 必要な時は雇い入れて働かせ、いらなくなればすぐ首を切ることのできる存在を必要としているのです。そのような存在を前提とし、そのような存在の犠牲の上に成り立っているのが、今日の社会の繁栄なのです。

 越冬活動は、人間を品物のように「使い捨て」していることへの問いかけであります。一歩でも他人よりも上にのぼることを善であるとしている私たちの生き方への問いかけであります。

 私と共に越冬活動に参加した仲間の一人が次のような手紙をくれました。

 「わずかな時間の参加でしたが、いろいろなことを考えさせられるという意味において、今回も参加の機会を与えられたことを感謝しています。おわんを持って給食を受ける人達の中に、かつて教えを受けた中学校時代の恩師を発見したことは、私にとって実に大きな驚きでした。長男と同じ年だった30年前、教師と教え子の間柄だったお互いが、このような形で再会しようとは夢想だにしておりませんでした。彼の今日までの30年間の歩みの中に、他人には打ち明けられない人生の大きな転機のあったことを推察しますと、自分の方から名乗り出て話しかけることができませんでした。出来得ることならば、これが全教会共通の課題として、ともに担われる日の来ることを願わずにいられません。」

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