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藤井 克彦/笹島診療所
日雇労働者と聞くと、現在の社会を批判的に見て運動をしている人でも、「ああ、炊き出しね」と反応する人が多い。そこには、「日雇労働者の現実=野宿して気の毒な状態」という問題意識があると思う。16年前「日雇労働者を見殺しにするな」と始めた時は、失業問題・社会問題としてとらえ、炊き出しも医療活動も、「行政の下請けになっている」と批判的に議論しながら(主体を問いながら)、やっていた。野宿に追い込まれている日雇労働者は、助ける対象ではない、という意識があった。にもかかわらず、結果は多くの人に、日雇労働者=助ける対象、と植えつけてしまった。
笹島日雇労働組合のたたかいは、賃金不払・業者の暴行・労働災害のもみけしなどに対し、勝利する。病気になれば、16年前に比べれば、随分診察・入院・入寮ができるようになった。しかし、私たちの活動は、いわば対症療法的なものであり、制度的な解決はほとんど前進しておらず、使い捨て状況はいっこうに変わっていない。
労働者の意識はどうであろうか。自ら活動に加わっている労働者もいるが、「何かあれば組合・診療所・炊き出しの人に相談すればよい」という傾向が強いと思う。
16年間に、係わる人は多くなり、活動も広く多様になったが、各々の活動がますますバラバラになりつつある。そして各々が現状を維持することに汲々としたり、日雇労働者のために活動しているという目己満足になったりしていないだろうか。私自身反省したい。
越冬闘争は、野宿に追い込まれる労働者にとって、生きるための闘いであるはずだ。<越冬>はお助け活動ではなく、私たちの自己満足のためにあるのでもない。まずは分散化している活動を、名実ともに共同の闘いとしてつくること(西柳公園での炊き出し・診療・越冬小屋などを現在越冬実で検討中)。そして具体的に労働者と接すること。そして、なぜこのような状況があるのか、どうすればよいのか、を問い合い、互いに変えられる関係をつくっていくことが大切だと思う。

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