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伊左治 真/野宿労働者の人権を守る会
1994年12月26日より1995年1月9日まで越冬闘争が行われた。バブル崩壊以降、野宿を強いられている日雇労働者(以下野宿労働者)の数が増加する中での闘争となった。野宿労働者数はこの2〜3年間で倍増し、野宿する場所であるビルの陰や公園からの「追い出し」の件数も増加している。こうした厳しい状況にある野宿労働者を福祉行政は放置するところか更に締め付ける現実がある。越冬前段においての市・県に対する行政交渉は例年のごとく「0回答」であった。
年末年始期間限定の無料宿泊所である「船見寮」では“有刺鉄線を張りめぐらす”“面接者を施設内に入れない”等の締め付けがあり、民生局職員が新聞取材に対し「アパートがあっても好きで野宿している人もいる。行き過ぎた援助は労働意欲をそこなう」と差別発言をする始末である。これが福祉行政を行う民生局職員の発言である。こうなってくると、役人の“仕事をしないための言い訳”ではなく、野宿を強いられている人を全て抹殺して“きれいな街づくり”を目指しているとしか思えない。…言い過ぎではないかと思う人は、笹島にきて、また市交渉に参加して現実を知ればよい。いや全ての市民は現実を知る義務がある。市民がこの差別社会をつくりだしているのだから。
【私たちは支援をしているのだろうか】
準備段階から総括にいたるまで、客体によって行なわれ、主体と客体が逆転しているのでは、という疑問を抱えたままの越冬闘争であった。ここでの主体とは野宿労働者のことであり、客体とは「支援」と呼ばれている人々のことである。これを乗り越えようと「協同炊き出し」や「拡大越冬実行委員会」が行われたが、これとて「支援」主導という声が聞こえている。そして私も「支援」とよばれている。今、支援という意識の矛盾と限界を考えなければならない。そもそも「支援」とは誰に対して誰が何を支援するのだろう。笹島の場合は、野宿労働者以外の人が野宿労働者に対し、野宿労働者が置かれている状況を変えるべく支援しているとされる。それでは「支援」はその状況をどのように変えることを目指しているのか。はたして、野宿労働者のこの社会への復権を目指しているのだろうか。
この社会の構造が野宿労働者のいまの状況を生み出している以上、そうした「支援」の目標は大いなる矛盾である。つまり社会の構造自体が変わらない限り、たとえ野宿労働者がこの社会において復権しようとも第2、第3の「野宿労働者」が生み出されてくるのである。だから野宿労働者も「支援」もこの社会を構成しているものとして、社会の構造を変える義務があるのだ。そこに「支援」は存在しない。私たちの問題だからだ。この差別と矛盾の満ちた社会に野宿労働者を引き上げる「支援」はいらないのである。
【我々は行動すべきである】
恐らく私も含め多くの市民は、この社会のままで生活していけるのだろう。野宿労働者が凍死しようが餓死しようが個人の責任だと思う人がいるかもしれない、また自分の生活だけで精一杯でこうした現実を考える余裕のないという人もいるかもしれない。しかし今の我々の生活が、多くの犠牲のうえに成り立っていることを知らなければならない。我々が普段何気なく使っている道路も地下鉄もビルも日雇労働者を使い捨てるという構造のうえでの造作物である。使い捨てられた日雇労働者が野宿を強いられ路上で死んでいく。この死を誰が「私は関係ない」といえるのだろう。この差別社会がこうした構造のうえにおいてしか存在しえないのであるならば、その社会を構成している全ての人が社会そのものを変えて行かなければならない。無関係な人はいないはずである。またマルチン・ルーサー・キングの「黒人の自由への歩みをはばむ大きな障害は白人市民会議やクー・クラックス・クランの面々ではなく、残念ながら、白人穏健派に属する人々であると、わたしは結論したいほどです。彼らは正義よりも秩序の維持に熱中し、…善意の人々が寄せるうわすべりの理解は、悪意の人々が持つ絶対的な誤解より、もっと面倒なものです」という言葉も考えなければならない。我々が“白人穏健派”にならないように。
市民と、現実にこの差別社会の犠牲になっている人が、共に考えられる関係をつくり、共に生きることのできる社会を勝ち取らなければならない。

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