日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
「住む」という権利
初出:1997/6発行 『こえ』 No.33
ささしま・野宿労働者と共に
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前田 圭子/元神戸YWCA職員

 4月に横浜に転居した。「神戸から」と挨拶すると、「大きな地震がありましたねえ。あれ、いつでしたっけ」と言われた。

 この頃よく耳にする「イツデシタ?」。震災に限ったことではない。日本は、何と時間の流れが早く、そして忘却が得意な国なのか。あれは夢の中で起こったことではないのかと錯覚してしまう。最近は神戸でも感じることがある。中心街や観光地では、もうほとんど地震の傷跡を見ることはない。観光客が「いやあ、もっとひどいと思っていたけど、もう全然わからないね」と言いながらショッピングアーケードを通りすぎていく。市民にとっても仮設住宅のある公園やたくさんのビル建設工事が日常の光景になっている。

 2年余の活動を振り返ると、初期の3ケ月は震災救援活動、その後は人権侵害との闘いの活動であったと言っても過言ではない。「モウ、ダイジョウブ」、行政は常に外にも内にも、そう思わせようと躍起だ。その影に復興から見捨てられようとしている人々がいる。特に、震災によって住まいを失った高齢者、低所得者、失業者、少数者は深刻な状況だ。地震のあった年の9月、私たちは住居の権利を専門とするNGOの調査団を神戸に招いた。この調査レポートで、彼らは神戸市は明らかに人々の居住の権利を侵害しており、このままでは「家なき人々の都」となってしまうと警告した。今やその通り、華やかな街の裏には数万人におよぶ「家なき人々」の苦しみ、悲しみ、憤りの世界が広がっている。

 居住の権利(住む権利)という概念を震災以後、初めて知った。被災者を避難所や公園から執拗に追い出し、公園避難者を仮設住宅入居者と差別し、そして今は仮設住宅入居者を遠隔地の恒久公営住宅に巧妙に移住させ、入居者の減った仮設住宅を強制的に統廃合しようとしている。長年、下町で質素に暮らしてきた被災者を元の街に戻そうとする気配は微塵も感じられない。居住の権利、すなわち生きる人すべてが「自分で自分の住む場所を決める権利」は、今の神戸にほとんどない。「住」は「人が主」と書く。しかし現在の状況では、その主権は「人」ではなく「行政」にある。「住民参加の街づくり」は虚飾に過ぎない。

 昨年6月、トルコのイスタンブールで開催された人間居住会議(HABITAT2)で、スラム等からの強制立ち退きと取り組んでいるフィリピン人や韓国人と出会った。彼らは、「権利は闘い勝ち取るものだ。待っていても誰も与えてはくれない」と教えてくれた。彼らの状況は常に過酷ながら、それでも「住む場所は自分で決める」というのは国際的な常識となっている。しかし、日本でそのことを知る人々はあまりにも少ない。

 神戸でも多くの被災者や支援者が闘っている。日本に住んでいる以上、必要最低限の「住まい」を得るためには資金が必要だ。個人補償を勝ち取ろうという働きも高まっている。公園や仮設住宅では住民が協力し、独自のコミュニティーを形成しようと努力している。これら全ての働きが神戸もしくは被災地だけの地方的な課題に終わってはいけない。

 居住の権利を含む等しい人権感覚は日本では極めて低い。この園で起こる枚挙にいとまがない人権問題に、残念ながら神戸も仲間入りした。そしてこれは一地方の課題ではなく、全国や世界と共通する課題だ。私たちが闘うことが自分たちのためだけでなく、必ずどこかで起こる同様の問題の解決に役立つと信じている。震災後わたしたちがさまざまな国や地方の人々の多くの経験に助けられたように。

 来る10月に市長選が待っている。神戸市民が人が主となるための決断を下すチャンスだ。市民がどのような選択をするのか。色々な顔と言葉が浮かんでくる。友人はこう書いた。「自分の慣れ親しんだ街を一瞬にして失った以上、街が元の姿に戻るだけでは満足できない。元の姿以上の人的復興を私は望んでいる」。公園でがんばったおばさんはこう言った。「自分のよう知っとう街で、気に入ったウチに住めるようになるまで、地震は終わってへんねん」。我が街神戸が経済ではなく、人権復興の街となるよう市民自身ができることを粘り強く続ける。真の復興を果たし「地震?イツヤッタカナア?」と私たち自身が言える日がくるまで。

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