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高木栄子/名古屋聖ステパノ教会信徒
第22回名古屋越冬活動は、厳冬期であり、1年で最も華やいだ時期である年末年始(1996年12月26日?1997年1月6日)に、「野宿労働者への差別、襲撃を許すな!日雇労働者の生存権を勝ち取り、仲間の命は仲間で守ろう!」をスローガンとして行われた。名古屋駅近くの西柳公園を中心として、夜まわり、炊き出し、医療相談、福祉要求行動等が連日続けられた。
名古屋駅、栄周辺で野宿を強いられている人は、最も多い日で600名を越え、炊き出しでは260食(夕食のみ)を越えることもあった。また医療テントでの受診者も、多い日では16名にものぼり、中村区役所に設置された臨時相談所を通して、入院したり、市の更生施設・植田寮に入寮した人もいた。
名古屋市が年末年始のみ開設する無料宿泊所・船見寮には、ピーク時には500名近くの野宿労働者が入寮した。
今回初めて越冬活動に参加した私は、いくら今までに越冬活動報告書を読んだり、日常の炊き出しに参加したりしていても、それぞれの現場でのひとつひとつの現実を目にし、耳にすると、やはり直接活動に参加しなければわからないという思いを強くした。以下にその何点かを記す。
まず、日常的に厳しいギリギリの状況に置かれている野宿労働者の人たちが、「生きて」冬を越すための活動なのだということ。そして、多くの野宿労働者が積極的に参加する活動なのだということ。また、船見寮や臨時相談所に見られるような行政の対応の不十分さ、ということなどである。
さて、野宿労働者の問題に対しては、行政側の発言 (東京都青島知事発言『あの人たちは、独特の人生観をお持ちで』)や、マスコミの取り上げ方の影響もあって、「個人的な問題である」とか「好きで路上に住んでいる」とかいう意見が見られる。そして、「私には関係ない問題だ」と。
新宿では、行政が「動く歩道」を一方的に作り、就労対策、福祉対策がないまま、野宿労働者の排除を進めていこうとした。(以前、勤務先が新宿駅西口方面にあった私は、毎日新宿の野宿労働者の方と話をさせてもらっていた)
住民の反野宿労働者感情や排他的意識の助長がなされ、襲撃事件が起こる中で、今回の名古屋越冬活動参加となった。
私自身、今回の越冬活動参加に当たっては、現実を知るということ、野宿労働者の人たちと共に活動するということができたらと願っていた。その点では、かなり意義あるものであった。今まで全く知らなかった笹島の野宿労働者の人たちと、たとえば、もちつきをしたときとか、船見寮で交流訪問したときとか、臨時相談所に行ったときとかに話を聴いたり、話をすることができた。
今、改めて越冬活動参加を振り返ると、「私は、そして私たちは何をするのか」ということを越冬活動は教えてくれたのだと思える。
一人の人間の生存権、人権を認めない社会をそのまま受け止めてしまって良いのだろうか。良いとは思えない。たとえ、それぞれの権利が認められる社会の実現への道のりが遠くても、私はその一歩を踏み出したい。というより、野宿労働者と共に、すでに歩き始めている。
ともすれば、明日への希望をも失いかけている野宿労働者たちが生き生きとした表情で人として生きていくことができるためにも、次の機会には、まだ初めの一歩を踏み出せないでいる人とも共に歩みたい。

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