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関屋 光泰/笹島診療所
1997年8月27日。名古屋市中区の若宮大通公園「冒険とりで」(木製巨大ジャングルジム)にて野宿生活を強いられていた人々と支援者が、名古屋市当局と愛知県警によって強制排除された。路上に追いつめられ、そこからも追い出された人々…彼らが生きて“居てもいい"場所はこの街にはないのか。あるいは、私たちにも。失業と野宿生活に追い込まれた人々の「仕事や住まいの保障も無いまま、どこに出て行けというのか!」というギリギリの叫びから、この追い出しに抗する闘いははじまった。昨年7月、若宮大通でも「高速道路橋脚部の耐震補強工事」が開始されようとしていたが、現地の野宿生活者及び笹島連絡会(支援団体のネットワーク)と、工事の主体である名古屋高速道路公社が着工を前にして話し合い、工事は追い出しにつながるものではなく、現地の野宿生活者の安全と人権には配慮する等の事項を確認した。それ以降、現地の野宿生活者は一貫して「耐震工事」に協力してきた。
97年3月4日、市議会本会議にて市農政緑地局長は「冒険とりでの撤去・再整備言計画」を明らかにした。曰く、「5月にも解体、撤去し、若者を対象にしたスポーツ広場にする」「公園改造にともないホームレスの人の立ち退きを求める」。野宿生活者と笹島連絡会及び笹島人権センターは、話し合いによる解決を求めて4月30日以降、6回にわたって市当局に申し入れ書を提出したが、「話し合いには応じられない」「話し合う根拠がない」と当局は拒み続けた。
7月22日及び8月6日、市職員とガードマン等100名程が力ずくで工事を開始しようとやってきたが、野宿生活者や支援者の抗議と、話し合いを求める座り込みのために着工を断念した。8月6日の撤退に際して市当局は、松原市長名による「除却命令書(公園内の物件を“市長の命ずるもの”によって除却する)」を公園の入り口に貼付していった…。除却期限は8月20日、市当局の最後の通告であった。
そして8月27日の早朝5時半、市職員、ガードマン、愛知県警約350名が「とりで」に押し寄せ、ダンボール小屋の破壊をはじめた。「俺たちはゴミじゃない!」「俺たちは話し合ってくれとしか要求していない。これがお前たちの返事か!」と私たちは怒りを叩きっけつつ、「住まい」を身を挺して守ったが、市当局と県警によって約2時問後には暴力的に排除された(野宿生活者3名が負傷)。市当局は、国連人権委員会「強制退去に関する決議」等でも禁止されている追い出しを行い、人々の「居住の権利(第二回国連人間居住会議でも確認された基本的人権)」や生存権をも蹂躙したのだ。
即日「とりで」は解体された…これが「解決」なのか?何も終わってはいない。
「とりで」の真実を幅広い人々と共有する「居住と人権を考える市民集会」(10月12日)には、企画した20?30代の支援者をはじめ、学生やライブハウスからやってきたパンクス等々、多様な若者も集まってきた。(参加者約130名)。
日々、様々な人々が排除されていく私たちの街。「競争社会」から切り捨てられ、野宿生活に追い込まれる人々が増え続ける一方で、多くの若者たちも学校や家庭、社会から疎外されている…。居場所を失った私たち。路上は、“ハイジョ”されたすべての人々、若者の“トリデ”となるのか…。そんな思いを抱きつつ、いろんな人たちが集まれる場でもある「越冬」を、私たちは創りはじめた。越冬活動への参加とご協力をお願いします。「西柳公園 (通称オケラ公園)」でお待ちしています。

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