| 私が赴任した1980年には、すでに毎週火、木曜日の午前中、約30名の3歳児を集めて保育が行なわれていた。保育にあたっていたのは、市内の教会に属するベテランの元幼稚園教師の方々であった。
活動を開始した詳しい経緯はわからないが、当時の幼稚園は、まだ3年保育を行なっておらず、社会に眼が開かれ出す3歳児にとっては、なかなか集団生活を経験できる場は少なかったようである。学生センターの周辺は転勤族も多く、またすでに少子化傾向も始まっており、外への関心が芽生え、体力もついてきた子どもたちにとっては、友だちづくりや集団での遊びの場が不足していたように思う。そうした必要性に応えるため「みつば」の活動が始まったのではないだろうか。それから24年を経た現在は、保育日が週三日間になったり、庭が狭くなったりしているが、保育の特徴は当時とあまり変っていない。特徴の一つは「手作り」である。「みつば」では、発足当初から手作りを重視し、おやつをはじめ教材も遊び道具も、多くは教師たちの手作業によるものである。そこには子どもたちに手作りのあたたかさを伝えたいという教師たちの願いが込められていると思う。教師たちの負担はたいへんなものだが、あらゆる物が商品化され、既製品が溢れている今日、この手作りのあたたかさ、豊かさを、私たちは失ってはならないと思う。
もうひとつの特徴は、基本的に「何も教えない」ということである。子どもを持つ多くの親たちは、少しでも早く子どもたちに文字や数字など様々な知識や技術を習得させ、その後の進路を有利にしたいと思うのだろうか。そうした親たちの必要に応じて、最近では漢字や英語なども教える幼稚園や幼児教室が増えてきている。しかし、「みつば」では、幼児にとって大切なことは、そうした英才教育をほどこすことではなく、親や教師を通して、人間の持つあたたかみや、友達と遊ぶことで人間同士の距離感などを体験的に身につけることが、その後の人格形成の基本だと考えている。その意味で「みつば」では、何かを「教える」ことよりは、「遊び」を通して、子どもたちが自然に体得するものを何よりも大切にしてきた。子どもたちは様々な遊びを創り出し、時にはけんかをしながら、社会に眼が開かれ、自ら学んでいくのである。
「みつば」は、同時にキリスト教精神に基づいた保育を唱ってきた。しかし、このことはキリスト教そのものを伝えることを意味しない。ましてやキリスト教式の形や習慣を擦り込むことが目的でもない。礼拝もするし、キリスト教の行事も行なうが、それだけではなく様々な機会を通して、例えば、生命の大切さ、自然の大切さ、他者への感謝、自分よりも弱い者への配慮など、人間が生きていく上で、本当に大切なことを子どもたちに伝えたいと考えている。
また近年、私たちは、時々、母親を対象に勉強会を行なってきた。沖縄のこと、日本の侵略戦争のこと、日雇労働者のことなど、自分たちの歴史や社会状況を学び、意見を交わすことによって、親たちも自らの視野を広げ、多様な価値を受け入れながら成長することが大切ではないだろうか。
「みつば」は、学生センターが行なう最年少児のプログラムである。「みつば」で遊んだ幼な子たちの成長を見つめながら、彼らの成長のプロセスを手助けできるようなプログラムを提供することは、学生センターの大切な役割の一つと考えている。
人が行き交う場をめざして・目次
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