| 1980年に、私が名古屋学生センターに赴任して、最初に考えたことは、子どもたちに何か創造的なプログラムを提供できないだろうかということであった。いろいろな出会いがあったが、中でも、私を興奮させたのは、当時、名古屋市郊外の日進町(現日進市)にあった「海賊船」という場であった。紹介されて訪ねた「海賊船」は、一部2階建ての大きな倉庫であった。板敷きのホールを囲むように、様々な木材、紙、金属などの材料や大工道具などがふんだんにストックされていた。子どもたちは、毎週日曜日の朝から「海賊船」に通い、日がな、のこぎりや金槌をふるい、絵を描いたり、土をこねたりするのである。
「海賊船」には、キャプテンと呼ばれる数人のリーダーがいた。彼らのほとんどは学校の教師で、学校の授業で行なわれる絵画にしても、工作にしても、通常は2時間という枠の中で完成させなければならないことに強い疑問を持っ人々であった。彼らは、本来、創造的な営みであるはずの絵画や工作まで、時間で区切られた作業になっていることに、学校教育の限界を感じていた。そのため、時間にしばられず、自由に作品に挑戦できる場を作ったのである。
キャプテンたちは、原則的に子どもたちから相談されないかぎり教えることはしない。子どもたちの自主性と創造性を大切にしようとしていた。子どもの創造性というものが、いかにすごいかということは、小学6年生が作ったという卒業制作に端的に示されていた。
一人の作品は、木のケースの中に鎮座する大きな仏像であった。ケースの内側には、細かい曼陀羅模様が描かれていて、その迫力に圧倒される思いがした。聞くところによると、その子は、仏像に関心が生じ、奈良や京都にも出掛けて、仏像を観察してきたそうである。またもう一人の作品は、洋服ダンスであった。もちろん家具として十分に使用可能な見事なもので、確か母親へのプレゼントのつもりで制作したとのことであった。彼らは何ヵ月もかけて試行錯誤を繰り返しながら、そうした作品を完成させたのである。
子どもたちの創作への意欲をかきたたせ、試行錯誤を保証することは、今の学校教育では困難である。むしろ「早く」「とりあえず」完成させることによって、評価が決まるのである。そのような「教育」に、一体、どんな意味があるのだろうか。
こうした試みを、何らかの形で学生センターの活動に反映させたいと考え、海賊船の方々と相談し、その結果、「モック造形教室」が開講されることになったのである。この「モック」を、今日まで率いてきたのは、海賊船のキャプテンの一人であった白石公二さんである。もちろん学生センターは、それ専門の施設ではないので、いろいろな制約の中で活動を行なわざるを得なかった。白石さんは、毎回、道具と材料を運び込んでは、題材を提供してきた。16年間にわたって、毎回約40人もの子どもたちを相手に活動を続けることができたのは、白石さんの力量と絶えざる工夫の賜物であったと思う。驚くべきことは、この16年間、おそらくただの一度でさえ同じ題材を取り上げたことがなかったということである。その講師の熱意と努力によって、子どもたちは、毎回、実に創造性あふれる作品にチャレンジすることができたのである。
白石さんが、子どもたちに提供してきた材料は、多くの場合、木である。木のあたたかさ、奥深さに触れることが「モック」の基本ラインになっている。おそらく彼は自然の材料を用いて物を割るという行為を通して、人間の豊かさを育もうとしているように私は感じる。そのことはまた学生センターの願いでもある。こうして、モックもまた、学生センターがめざす「オルタナティヴな教育」の一翼を担っているのである。
人が行き交う場をめざして・目次
|