日本聖公会中部教区・名古屋学生青年センター
6.子ども英会話クラス
人が行き交う場を目指して - 野村 潔

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 今でこそ、名古屋学生青年センターの英会話クラスは評判も良く、地域に定着してきたようであるが、これは建物が新しくなってからのことで、古い建物の時代には、一度大失敗をしている。

 確か'82年頃だったと思うが、ある時オーストラリアから名古屋大学に留学したM君が学生センター(当時)を訪ねてきた。聖公会のメンバーでもある彼は、かって岐阜県大垣市にも交換留学で滞在していたことがあり、日本語の上手な感じの良い青年だった。交わりが深まるにつれて、私は彼のタレントを生かしたいと考え、安易にも成人を対象とした英会話クラスの講師をお願いすることにした。

 早速、近隣にチラシを入れて生徒を募集したところ、 10数名の応募があり、なんとか開講を実現することができた。このクラスはM君の丁寧な指導と人柄によって、割りと評判も良く、生徒の出席率も高かったと記憶している。クラスは順調に行なわれていたので私も喜んでいたが、予定よりもずいぶん早く、一年も経たないうちに彼は留学を終えて帰国することになってしまった。

 M君も、非常に恐縮して後任として同じオーストラリアからのF君という留学生を紹介してくれたので、とりあえずクラスを続けることができた。
 M君の場合は、私との人間関係があったし、また教会の施設で行なっている英会話クラスだということもあり、非常に献身的に生徒に接してくれたように思う。少ない謝礼にもかかわらず、毎回のように時間を延長して生徒を指導し、その他の機会にもいろいろな交わりを楽しんでいた。生徒たちも、彼が留学生だということもあり、時々は家庭に食事に招いてくれていたようである。

 しかし、M君が紹介してくれたF君にとって、センターの英会話クラスは、単なるアルバイト以上のものではなかったように思う。したがって、授業もかなり機械的なものとなり、進度の遅い生徒への配慮も希薄になり、クラス以外での生徒たちとの交わりもあまり深まることはなかった。

 そのうち、生徒たちからクラスヘの不満も出始め、出席率も悪くなり、途中で退会する人も増えてきた。そのためクラス運営を維持することも困難になってきた。結果的には、F君から、もっと条件の良い英会話講師の口があるので、そちらに移りたいという申し出があったのをきっかけに、この英会話クラスはわずか2年足らずで閉じることになった。

 この時の経験から、私は多くのことを学はされたように思う。

 まず、当たり前のことであるが、一度、始めたプログラムを簡単に止めてはならないということである。通常、入会金や月謝を徴収してクラスを開設する場合、受講する人々にとっては、そのクラスが途中で無くなるということは想定されていない。したがって、費用を徴収して、プログラムを開始するということは、基本的に受講者の目的が達成されるまで、続けなければならないという義務と責任が生じるということを意味する。しかし、当時の私たちはこうした長期的な見通しを立てることができなかった。

 また、主催者である私たちにとって、何のために英会話プログラムを提供するのかというモチーフも希薄であったように思う。そのため、講師と教育内容や教材に関して議論を深めることもできず、結果的に、当時のセンターの主張や他のプログラムと関係づけた内容を提供することができなかった。

 英会話クラスの講師の採用に関して言えば、これも自明のことであるが、日本語を話せる私たちが日本語を教えることができないように、英語が話せるからといって、英語を教えられるわけではないということである。ましてや留学生のように、他の目的で来日している人に、優れた英会話指導の責任を委ねる方が間違っているのであり、かつての英会話クラスの失敗の原因は、もちろんF君の責任ではなく、私自身の無知と未熟以外の何物でもなかった。

 というわけで、私の英会話クラス開設の試みは、あえなく失敗に終わった。しかしながら、その一方で、私は英語を学ぶことの意味について、あらためて考え始めていた。それは、その頃、訪問したフィリピンやカナダでの体験がきっかけであった。

 '83年の夏、私はフィリピンを初めて訪問した。訪問の目的は、漠然と教会の働きを見学したり、人に会ったりすることだったが、案内されたマニラにある NASSAというカトリック教会の社会活動センターに、私は大きな刺激を受け、そこで新しい学生青年センターのコンセプト作りのヒントを得たように思う。 NASSAには課題別に幾つかのセクションがあり、それぞれが小さなオフィスを構え、数人ずつのスタッフが働いていた。例えば「スラム」の課題を担当するオフィスでは、スタッフが週の3?4日をトンドという、当時、東南アジア最大と言われいたスラム地区に住みながら、スラムの人々が直面している課題に共に取り組みつつ、その報告を毎月、NASSAニュースに掲載して、全国のカトリック教会に情報提供をしていた。

 また、'85年に初めて訪問したカナダでは、フィリピンにおけるNASSAのようなセンターを訪問することはできなかったが、しかし、入手した幾つかのニュース・レターを読んで、カナダの教会が、国内・国外において様々な社会的な課題に取り組んでいることに驚かされた。殊に環境保護や難民の受け入れに関する先駆的な働きは、まさに「目から鱗」であった。

 このような体験から、私は世界の人々がいかに多様で豊かな働きをしているかということを学ぶと共に、日本の教会やNGOの働きに国際的な視野が乏しいということに気づかされた。そして、日本に住む私たちや、特に青少年にとって、こうした海外の多様な働きを学び、様々な課題について国境を越えて情報を交換しながら、地球市民として共に生きる道を探ることが、今後、益々、求められるのではないかと思わされたのである。「英語」は、そのために必要最低限の道具であり、機能であることを強く感じたのである。

 しかし、私が知る限り、当時の学校における英語教育は、英語を学ぶこと自体が目的化しており、英語を学び、英語を用いて、世界と結びつくことの意味を教えるような内容ではなかったと思う。

 私自身の学生時代を振り返っても、英語はひとつの学科以上のものではなく、英語を学ぶことを通して、国境を越えた社会の在り方や生き方を考えるようなアプローチは乏しかったように思う。したがって、なぜ英語を学ぶのか、なぜ英語が必要なのかというモチーフを共有できるような英語教育の機会を提供することは、少なくとも、世界各地の人々と様々な課題を分かち合おうとする学生青年センターにとって、非常に意味のあることではないかと感じたのである。このことがセンターにて再び英会話クラスを始める動機となり、今も、基本的な姿勢となっているように思う。

 そういった経緯をふまえ、学生青年センターが新築された'86年に、その前年にフィリピンから帰国したばかりの池住圭(現総主事)という国際経験の豊富な、そして英会話指導についても卓越した力を持っているスタッフの加入という幸運もあり、国際社会の中で日本人としての生き方を模索することと、その手段としての英語を学ぶこととを、密接に関係づけるようなプログラムの提供を実現することが可能になったように思う。

 現在、センターで行なわれている「子ども英会話」にしても、「成人英会話」にしても、とどのつまりは、自分の関心や自分の考えを伝え合い、深め合いながら、地球市民としての生き方を学ぶ場になればと考えている。その意味で、今後もセンターが提供する「英会話クラス」が、学校に入るための手段ではなく、この世界を人間としてより良く生きるための機会として有意義に用いられるよう願っている。

初出:1999年6月 『こえ』 No.37

人が行き交う場をめざして・目次
1.はじめに
2.みつば幼児グループ
3.モック造形教室
4.ロング・デイキャンプ
5.中高生ボランティアキャンプ
6.子ども英会話クラス
7.沖縄スタディツアー