キリスト教あれこれ (15)
―キリスト教にまつわる豆知識―


目から ( うろこ )

 聖書の中の言葉が日本語の中で普通に使われる ( ことわざ ) ( たと ) えになっている。表題の「目から鱗」は、使徒言行録9章のサウロ(パウロの旧名)の回心の場面では、『目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった』と記している。聖書の中では「うろこのようなもの」とあって、うろこではないのだが、形容句から名詞に、つまり「うろこ」になって諺に変身する。聖書にあたればすぐ分かることなのに、何故目から鱗がとびだすのかと議論されても困るのである。旧約聖書続編トビト記11章にも魚の肝臓のエキスを目に塗ると、目から白い膜のようなものが取れて目が見えるようになったことが記してある。

 目の話題をもう一つ。

 自分自身の大事に気づかず、他人の些細なことに文句を言うことを聖書の中では、「自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタ7:3)と記している。口語訳では「自分の目にある ( はり ) 」、文語訳では「おのが目にある 梁木 ( うつばり ) 」とあって、語呂からは口語訳、文語訳に軍配を上げたい。新共同訳では、どうも文学的な表現とは言えないようだ。

 マタイ伝4〜7章の山上の垂訓と言われる前後の記事はいろいろ格言や箴言の多い個所である。「豚に真珠」(マタ7:6)も日本語の諺として定着している。価値の分からぬ者に大切なものを渡すことを言う。似た諺「猫に小判」は日本で古くから使われていた。「狭き門」もジイドの小説の題名に使われてからよく使われる。マタイ伝7章13節では「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、…命に通じる門はなんと狭く、…」とある。ルカ伝13章22節では「狭い戸口」があてられているが、話しの流れが少し違っている。

 少し格言、諺的なものを順不同で並べてみる。

門を叩け、さらば開かれん (マタ7:7)

地の塩 (マタ5:13)

右手のなすことを左の手に知らすな (マタ6:3)

新しき葡萄酒は新しき皮ぶくろに (マタ9:17)

砂の上に家を建てた (マタ7:26)

目には目を、歯には歯を (マタ5:38)

人の生くるはパンのみに ( ) るにあらず (マタ4:4)

贖罪 ( しょくざい ) の山羊 (レビ16:8〜)
身代わりの山羊として、他人の罪を代わって負うことで、スケープ・ゴートとして定着している。

 テーマを決めて、聖書をあっちこっちと調べるのも、聖書に親しむ一つの方法であろう。

(聖書引用は各訳よりです。)

(2002.5)

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(c)NSKK Diocese of Chubu, Last updated on 9/4/2003