第486号(2000年1月)


 主イエスご降誕二〇〇〇年の記念すべき年、明けましておめでとうございます。
 ミレニアムという言葉が氾濫していますが、あまり馴染みのないこの外国語や、「二千年」と言う言葉を用いないで、敢えて「二〇〇〇年」に私が固執してしまうのは、この年数の重みをつくづく感じるからです。イエス様がこの世に人間としてお生まれになって、毎年、一年、一年と数えながらついに二〇〇〇年も経ったのです。その間、教会はいつも希望を失いかけたり、間違いを犯したり、世間からは邪教と呼ばれたり、攻撃を受けたりしてきました。しかし、それでも二〇〇〇年も続いてきたという事実に、改めて驚き、畏敬の念を覚えます。
 私の青年期、教会やキリスト教に反発し、教会から離れようと思いつつも、それができなかったのは、「キリスト教が二〇〇〇年も続いてきた」という事実の故でした。その間に、数え切れないほど多くのキリスト者の、信じられないような自己犠牲、自己奉献の営みがあったこと、そしてそれは苦難の人生でおわるのではなく、喜びと感謝の生きざまであったこと、そしてそれが世界を動かし、その結果として今の教会があり、私が存在することは否定のしようがないのです。これだけ多くの人々に影響を与え、世界を変えてきたキリスト教とか教会の中に、ちっぽけな私の思いを遥かに超えた偉大な「心理」があるに違いない。それを何としてでも知りたいという飢え渇きが私を教会に引き止めたと思うのです。今、二〇〇〇年を迎え、私は教会に対して、また新たな確信を与えられました。
 
      主教 ナタナエル 植松 誠




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