第498号(2001年1月)


 昨年秋の教区会で、私は、それぞれの教会に宣教の目標を設定するようにお勧めしました。難しい目標ではなく、また長時間かけて論議する必要もないような達成可能な目標です。
 何もないままだと、結局、惰性に流されて、いつの間にか一年が終わっていたということになり、教会の、また私たちの成長はあまり望めません。
 さらに、教会の宣教目標ではなく、「私の宣教目標」を立ててみましょう。全主日礼拝出席という目標もいいかもしれませんが、無理なものではなく、少しの努力と犠牲でできることでいいのです。献金を少し増やすこと、教会の掃除奉仕をすること、毎日五分間、聖書をきちんと読むこと、家族や友達を教会に誘うこと、遅刻しないで礼拝に出ること、教会に来ていない人に電話をかけたり訪問してみること、口数を減らすこと、人を褒めること、自分で祈りの課題を決めて、毎日そのために祈ること、等々。信仰生活というのは、私たちの行いによる応答が求められています。昨日よりは今日、今日よりは明日へと私たちは主に従う者として変えられていきたいのです。
 今から五十年程前の教区連合青年会の機関誌「光塩」を読んでいて、その当時の青年たちの宣教への情熱、信仰生活への純粋なまでの自己訓練に感動しました。自分のような者でも、何かができる。何かをするように主は求めておられる。教会はそのような人々の集まりだから、互いに祈り合い、励まし合って、自分もみんなも成長させていただきたいという熱い思いがみなぎっていたのです。
 さあ、今年は私たちが変えられ、成長させる年です。
      主教 ナタナエル 植松 誠


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