第499号(2001年2月)
「ボクだったら症候群」
わたしの罹っている病気の名前。症状は、「ぼくだったら、そんなときにきちんとお礼を言うのに」とか、「ぼくだったら、こうしたのに」、「ぼくだったら、そんな無駄遣いはしない」などと、ときには呟き、またときには妻相手に声をあらげる。「こんなこと、社会の常識なのに」とか、「こんなことが分からないなんて、信じられない」と付け加えるのもこの病気の特徴。
聖書の中にも、この病気は出てきます。ベタニヤで女がイエス様に香油を注いだ時、「なぜ、こんな無駄使いをするのか。(ぼくだったら)高く売って、貧しい人々に施すのに」(マタイ二六・八)と弟子たちは憤り、「たとえみんながつまづいても、(ぼくだったら)つまづきません」とイエス様に言ったのはペテロでした(マルコ一四・二九)。
病気は原因が分からないと治療の仕様がありません。わたしと同居している主治医?に聞きますと、「あなたは、人に心から甘えたり、無条件で赦してもらった経験があるか」と。もう少し言えば、自分の弱さを一生懸命隠して、完璧でなくてはならないと思っている、人から赦してもらう必要がないくらい自分は正しいと思っているのではないかと。あまり認めたくはありませんが、そこにこの病気の原因があるのは確かです。
「ぼくだったら、『ボクだったら症候群』になんか罹らない」という思いと闘いながら、「主よ、我を憐れみ、謙遜の徳を与え給え」という祈りの薬をいつも服用しています。
主教 ナタナエル 植松 誠