第503号(2001年6月)
「アーメン」という声が確かに聞こえました。先日、聖霊降臨日の前の週、Nさんを病院に見舞い、お祈りをしたときのことです。一年半前に脳出血で倒れ、大きな手術を受け、それ以来入院生活が続いています。半年ほど前から、こちらの話しに頷いたり、聖歌を歌うと嬉しそうな表情をされますが、自分から声を出したり意思表示などはできません。この時も一方的にわたしが話しかけ、最後に耳元でお祈りをしたのです。「アーメン」とわたしが言うと、Nさんも「・・メン」とおっしゃいました。確かにアーメンでした。どの程度Nさんが私の祈りを聞き、理解したかわたしにはわかりません。
同じ日、Hさんを別の病院に見舞ったときです。「主教さん、このような病気になって、わたしは真剣に祈るようになりました。でも『イエス様・・』というだけであとは言葉にならないのです。」とHさんはおっしゃいました。とても辛そうなご様子でした。ただひたすら「イエス様・・・、イエス様・・・」とHさんは声を出しています。それこそが全身全霊を注いだHさんのお祈りでした。
「霊もよわいわたしたりを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、霊みずからが、言葉に表せないうめきをもって執りなしてくださるからです」(ローマ8・26)。Nさんに「アーメン」と言わせたのも、Hさんの言葉にならないうめきを祈りに昂めているのも精霊でなくて何でしょう。聖霊降臨のお恵みとその奇跡を、このようなことの中にはっきりと見せていただき、わたしは感謝のうちに病院を後にしました。
主教 ナタナエル 植松 誠