第506号(2001年9月)


秋のバザーの季節となり、教区内の諸教会でもバザーの準備が行われています。この時期になるといつも「マルタとマリア」のことを思い出します。愛するイエス様をもてなすために忙しく立ち働いているマルタ。そして、イエス様の足下に座ってそのお話に聞き入っているマリア。どちらの存在も必要で大事です。みんながマルタになっては困ります。また、マルタのように働くとしても、そのタイミングがとても重要です。
 ある修養会で、話を始めた途端、一人の婦人がみんなのお茶をいれ始めました。すると、それまで座っていた婦人たちも立って、そのお手伝いを始めました。お盆の湯飲みを各テーブルに配る音、「あっちのテーブルにはまだお茶がいってない」と指示する声、また配られたお茶に対してお礼を言っている声などで、その場は全く落ち着きがなくなってしまいました。また、ある愛餐会では、会の途中に何人かの方が台所で後片づけを始めたのを見て、一斉にエプロン姿の方々が働き始め、愛餐会は終わったのか、まだ続いているのかわからないまま、席についた人たちは取り残されたような思いを持ってしまいました。
 このようなことは、家庭集会でもよく起こることです。そこにあるのは、もてなそうとする善意や、他の人に働かせるのは申し訳ないという気遣いです。しかし、そのような善意や気遣い、仕事熱心さが、時には、マリアのような存在を無視してしまったり、傷つけてしまうこともあるのです。何もしないで、みんなと静かに座り続けることも大事です。
      主教 ナタナエル 植松 誠


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