第509号(2001年12月)
本日、ここに日本聖公会北海道教区第六〇(定期)教区会を開催できますことを主なる神様に感謝いたします。この教区会のために、各地からお集まりくださいました教役者並びに信徒の皆様に深く感謝申し上げます。教区の主にある教会を代表する兄弟姉妹が共に集められたこの教区会において、主を賛美し、祈り、報告を聞き、教区の宣教のために熱心な話し合いがされ、新たな勇気と希望が、また主を信ずる喜びが与えられますよう、聖霊の豊かなお導きをお祈りいたします。
ミレニアムに沸きかえっていた昨年と様相をまったく異にし、この記念すべきに二十一世紀の最初の年は、世界中を巻き込むテロリズムとそれに対する戦争という重苦しい年となりました。さる九月十一日に米国で起きた「同時多発テロ」のわずか二日後、私自身、ニューヨーク市に入り、その惨状を目の当たりにしました。多くの一般市民を巻き込む卑劣なテロに強い怒りを持ちながらも、アメリカ国内に沸き上がった報復を求める声、また、「アメリカは世界のテロリズムと戦い、勝利する。正義は我々の側にある。我々と共に戦わない国はテロリストに味方する国、すなわちアメリカの敵と見做す」というブッシュ大統領の演説に、深い憂慮の念を禁じ得ませんでした。米国聖公会のグリズワルド総裁主教やローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、「武力行使による報復は解決にならない。暴力やテロの連鎖を断ち切ること、和解の使者となることが、キリストの福音を生きる私たちの務めだ」と訴えました。私たちもこの言葉を深く受け止めたいと思います。今回の武力行使に協力するために、日本政府は自衛隊法改正案、テロ対策特別措置法案を短期間で成立させてしましました。過去の大戦への反省から戦争放棄を掲げた平和憲法が、少しずつ、巧みな世論操作で、なし崩しにされてきている状況に、私たちは警戒を怠ってはなりません。「主よ私たちを平和の道具にしてください」という祈りは、平和の道具になって行動するものに私たちが変えられますようにという祈りです。平和の道具となる使命は主から与えられた責務であることをしっかりと覚えたいものです。
この一年を振りかえってみますと、日本の経済情勢はますます厳しさを増し、先が見えない状況です。雇用不安、金融不安、給与や年金の目減りなどが私たちの生活を直撃し、教会の家族にもその影響を受けた方々が多くおられます。教区の財政も利息収入がほとんど期待できない厳しい状況の中で、それでも多くの捧げものをいただき、この一年を無事に過ごすことができましたことを神様と皆様に感謝いたします。厳しい現実の中で、ここ、札幌キリスト教会(主教座聖堂)が新しく建て直されて、さる四月三〇日に礼拝堂聖別式を挙行し、有株聖公会は大規模な修復工事を終え、八月九日に修復完成の感謝礼拝を挙行し、また現在、岩見沢聖十字教会・聖十字幼稚園が十ニ月中旬竣工の予定で建築工事中です。また、苫小牧聖塚教会は長年にわたる高額な借入金の返済を終え、さる十月ニ一日、はれて礼拝堂を聖別し、主に捧げました。また、教区内の多くの教会が、礼拝堂や会館、牧師館の修復工事の必要を認めてそのために資金捻出を思案中です。そのいずれもが、高額な修復経費を、少ない信徒や年金暮らしの方々の献金に負わなくてはならない現状をかかえています。しかし、教会の建築や土地の購入で、いつの時代も神の民は、不可能を可能にしてくださり、無から有を生じさせてくださる主を信頼し、ひたすら祈り、捧げてきました。その結果、奇跡としか思えないような不思議な業がなされたことを私たちは身をもって体験してきました。このことは私たちに大きな勇気と励まし、希望を与えてくれています。
さて、人事のことを申し上げます。今年の三月末で、吉川孝司祭が病気療養のために退職され、小貫雅夫司祭が七〇歳の定年をお迎え退職されました。お二人には長い間、教区でお働きいただき、お二人を通して豊かな主の恵みがこの教区に、教区の一人ひとりに与えられたことを感謝いたします。これらお二人の退職によって、教区の現役教役者の現状は、ニ四の教会に対して、現職専任の聖職者が主教を含めて十名、特任執事一名、聖公会神学院への出向一名、教会勤務聖職候補生二名となりました。これは、道北、道東、道南、道央の各分区に現職司祭を二名(道南のみ三名)派遣していることになります。また、すでに定年退職された斉藤昭一司祭、岡村トシ子司祭、寺本睦夫司祭、小貫雅夫司祭には嘱託として牧会にご奉仕いただいており、また三澤康二司祭、上田貞雄司祭にも主日礼拝の司式・説教などを助けていただいております。また、今年四月から、東京教区の退職司祭佐藤信康司祭ご夫婦に北海道教区においでいただき、嘱託司祭として現在新札幌聖ニコラス教会でお働きいただいております。これらの退職聖職のご奉仕無しには、現在の北海道教区の牧会・宣教は考えられません。あらためてこの教区内の場をお借りして、心からの感謝を申し上げます。幸いなことに、現在、三名の聖職候補生が神学校で、あるいは教区内の聖職養成委員のもとで勉強を続けております。また、一人の方の聖職候補生志願を審査中です。このように、新たな献身者が与えられておりますことは教区にとりまして大きな喜び・感謝です。しかし、これからも更に献身者が増し加えられますように、皆様のお祈りとともに、皆様ご自身が、それぞれの教会で聖職へ献身するものを探し、献身をお勧めくださいますようお願いいたします。教役者への献身者を求め、養成することは、北海道教区にとって急務であることを皆様にぜひともご認識いただきたいと思います。
教役者不足は教区の宣教にいろいろな面で大きな影響を与えています。定住牧師のいる教会でも、その牧師が他の教会の管理牧師を兼ねていたり、幼稚園や保育園の園長やチャプレン、また教区内の諸団体のチャプレンを兼任することがほとんどで、それに対してこれらの教役者の健康をご心配くださる信徒の声と共に、定住牧師の不在或いは牧師の多忙のために教会の宣教が不十分であるとの声も多く聞かれます。まずは、現状の中で主からいただく多くのお恵みを感謝をするところから始めなくてはならないと思います。少ない教役者という困難の中で、主日礼拝が毎週でないにしても守られることは、北海道の厳しさを見る時に、奇跡のように思えます。今年の十月に行われた「長崎・五島列島おらしょの巡礼」の場所はキリシタン殉教の地です。厳しい迫害の中、キリストのからだと血を拝領するために命がけでミサに駆けつけたキリシタンの思いを持って、私たちも主日礼拝大事に守りたいと願います。しかし、お恵みを感謝しながら、今の困難を良い方向へと変えていく努力も確かに必要です。教会の宣教は牧師のみが担うのではないとは以前から言われていたことですが、私たちの教会の伝統や習慣では、牧師または聖職中心主義的な要素が強く、すべてを聖職にお任せということが多かったのも否定できません。しかしながら、これからも直面する教役者の不足を考えるとき、そろそろ私たちの教会は、信徒がもっと宣教の担い手の中心になっていくことに方向を転換しなくてはなりません。そのような意味での信徒教育、信徒訓練ができてこなかったことを反省し、教区的にも、またそれぞれの教会でも、聖職と信徒が一緒になって聖書を学び、祈り、信仰を養い深め、教会の仕事を分かち合い、たとえ牧師不在であっても、教会の宣教が滞りなく継続されることを目指して行けるような取り組みが必要です。
これは、単に一つの教会ではできないかもしれません。まさに教役者不足ゆえに、それができないということもあるでしょう。そのようなとき、教区と教会が、また教会と教会が、またはある信徒たちや教役者と教会が協働することが大事になってきます。主から託されたそれぞれの教会、そこからの私たちが生きる意味や喜び、励ましや希望を与えられる教会、そして、また、私たちの子供たちに継承していく教会のために、すべての信徒が今まで以上に自分の時間、能力、資源をお捧げするように招かれています。これからの宣教の中心は信徒の皆様です。その訓練や教育のためにプログラムを各教会で、また教会と教会、或いは教区と教会の間の協働の方法を、教区の宣教活動推進部で検討していただきたいと思います。
昨年のミレニアム関係の行事には、ニセコに二二〇名、札幌聖ミカエル教会での教区フェスティバルには五百名もの人々が集まりました。そして今年は札幌キリスト教会の聖別式に六百名を超える人々が、札幌聖ミカエル教会宣教五十周年礼拝にはニ五〇名の人々が集まりました。広い北海道教区でこのように多くの人が各地から集まり、それ豊かな祝福をいただいてまた散っていきました。一人ひとりの力は、また信仰は弱いものです。一人ひとりのささへものは僅かです。一つひとつの教会も同じです。しかし、これらが集まって分かち合ったときに、主はそれを祝福して大きなものにしてくださるということを私たちは体験したことと思います。それによって、私たちは新たな勇気と希望を与えられました。私たちの北海道教区の教会や聖職・信徒の間の協働ということは、このような中にも見られたのではないでしょうか。
今年、平取聖公会が宣教一ニ五周年、網走聖ペテロ教会が宣教百十周年、留萌キリスト教会が宣教百周年、札幌ミカエル教会が宣教五十周年を祝いました。それぞれの教会の宣教開始のときに見られた、宣教師や信仰の先輩たちの宣教への情熱を、今私たちはもう一度、深く考えたいと思います。これらの人々の熱心な信仰と宣教のおかげで私たち、私たちの教会、教区があることを思うときに、私たちにもその信仰と熱心さが与えられるように祈りましょう。
主が皆様と皆様の教会を、この北海道教区を守り、導いてくださいますように。
主教 ナタナエル 植松 誠