第515号(2002年6月)


 Pさん ご主人のご容態があまりよくないということを○○司祭からお聞きしました。数年前のがんの手術ですっかりよくなって、教会にも喜んでいらしていたのが、再発、転移が見つかり、もう手の施しようがないとのこと。さぞご心痛のことと思います。わたしもご主人様には大変お世話になりましたし、いつも優しい言葉と温和な笑顔でわたしを励ましてくださったことを思いますと、今すぐにも病院にとんで行きたい思いで一杯です。
しかし、○○司祭の話ではあなたは牧師に病院に来ないでほしいとおっしゃっているとのこと。それは、牧師が病室に来れば、ご主人様が自分の死が近いのだと悟り、生きようという意欲が失せてしまうからだとのこと。最後まで希望を持たせてあげたいというあなたの願いに、わたしはいつも仲睦まじかったお二人の間のいたわりを感じ、目頭があつくなります。 Pさん、今、残された時間はあまりありません。信仰の篤いご主人様には、何よりも祈りとみ言葉による支えが必要です。 牧師が病床を訪ね、共に祈り、み言葉を聞き、聖餐に陪るその場に、あなたも一緒にいていただきたいのです。牧師がお訪ねするのは決して死の宣告ではありません。牧師は信徒が死に臨んでいようが、回復に向かっていようが、復活の主イエスの生命に生かされる喜びと希望をお伝えするのです。
Pさん、今、あなたにって大切なことは、ご主人様の残された時間を、二人でキリストに向き合って生きることです。お二人のために祈っています。
 
         主教 ナタナエル 植松 誠


2001年目次へ教区ホームページへ