第482号(1999年9月)


数週間前、帯広聖公会のH姉が主の許に召されました。寺本司祭からその知らせを

いただいた時、私は思わず手を合わせて「主に感謝します」と唱えました。

H姉とお会いした時の強烈な感動を思い出したからです。

去る六月末、帯広聖公会への主教巡回に合わせて信徒修養会がもたれ、自由で

気楽な雰囲気の中で聖書について語り合いました。「主教さんは、牧師の家庭にお

生まれになって、幼い時から聖書に親しまれて良かったですね」という声もあり、

私はそれに対して「確かにそのことを感謝しているが、そうでない人々への神様の

素晴らしいお働きもある」とお答えしました。

休憩時間になった時、H姉が私のところにおいでになり、「私は四十年前、たま

たま聖公会信徒と教会で結婚式を挙げることになったために洗礼を受けました。

教会のことも、キリスト教も、聖書も、お祈りも何も知らずに洗礼を受けました。

でも、それから四十年たった今、私はイエス様なしには生きていけません。聖書

の御言葉なしには私の生活はあり得ません」とおっしゃいました。

もちろん、ご主人や教会の多くの方々との出会いを通して、主はH姉をお導き

になられたのでしょうが、イエス様のことをまるで知らず、聖書を読んだことも

なかったH姉が、このように変えられて、周りの人々に信仰の喜びを伝え、その

ご生涯を全うされる事実を見る時に、人知を遥かに超えた主の大いなるみ業に圧

倒され、主への賛美で胸がいっぱいになるのです。

今も、あの時のH姉の、すこし恥ずかしそうな笑顔が浮かんできます。

主教ナタナエル 植松



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