首座主教に就任してからいろいろな方に「おめでとう」と言われます。まだ首座主教としての仕事もほとんどしていませんので、はっきりしたことはわかませんが、これは決して「おめでたいこと」でないのは確かです。何か大きな重荷を背中にしょいこんだような感じです。
先月、米国聖公会総会に招待され、五日間ほど参加しましたが、その際、「アーチビショップ・ナタナエル」と皆に紹介され、またそのように呼ばれて戸惑いを覚えました。アーチビショップ(首座主教・大主教)のアーチは首位という意味もありますが、「弧を描く、曲がった」という意味もあります。決して首位に立つ主教ではなくて、重たい荷物をしょって背中が曲がっている主教という方が、自分には合うのではないかと思いました。しかし、その重荷も、自分が必死に担いでいると思ったらそれは大変な傲慢になってしまいます。
丁度そのような時に、教区の若い司祭から祝電が届きました。「主イエス・キリストの謙遜の徳を忘れないで歩んでください」とありました。少し驚きましたが、まさしくこれは神の声だと思いました。家内もそれを見て、「これは神の声よ」と。大きな重い荷物を負って、歯を食いしばって...と自分に言い聞かせていた私に、主がそれを背負ってくださるのだと教えてくれたようでした。アーチビショップの背中は、主のお恵みと祝福がいっぱいで曲がってしまうのでしょう。
やれやれ...。