首座主教会議のため、二月に約一〇日間、タンザニアのダルエスサラームに行ってきました。入国時には冷房も利いていない狭い部屋で列を作り、延々と待たされ、やっとのことで外に出るとそこは炎熱。○○旅館とか△△工務店などと日本語がまだそのまま残っているマイクロバス(日本から輸出された中古車)で会場のホテルへ。これも冷房がなく、窓は開けっ放し。土ぼこりで、顔は真っ白になりました。
ダルエスサラームの町は、日本や西欧の街並みに馴れている私には、あまりの違いにカルチャーショックで声も出ませんでした。ごみの山、汚水が流れる小川で遊ぶ子どもたち、掘っ建て小屋のような民家、所在無げにたむろしている人々...。
ここは渡辺政直主教が一九八六年から六年余り、働かれたところです。今回お会いしたタンザニア聖公会の主教たち(現職も退職も)は皆、渡辺主教夫妻をよく覚えていました。ムテテメラ首座主教は、渡辺主教が町や村の教会を訪問するときに運転手や通訳を務めたとのこと。皆なつかしそうに、渡辺主教のことを話してくれました。
札幌からこの高温多湿のダルエスサラームに来て、何年もの間、現地の人々に仕え、今も皆の記憶の中で愛されている渡辺主教と溢子夫人。これらの話を聞いた後、現地の教会で聖餐式に出ました。スワヒリ語での聖餐式に渡辺主教の姿を見るような思いがして、「よくこんなところまで」と、涙が汗と一緒になって頬をぬらしていました。