【感謝】
本日、ここに日本聖公会北海道教区第六六(定期)教区会を開催するにあたり、道内各地よりお集まりくださいました聖職議員、信徒代議員、教区役員、招待議員の皆様に深く感謝いたします。また、この教区会のために会場準備や食事、議会運営にご奉仕くださっている方々にも心より感謝いたします。広い北海道教区で、いつもはなかなか顔を合わすことがない私たちが、同じ信仰の家族として一つ所に集められ、それぞれに主が与えてくださっているお恵みや試練、また挑戦を共に分かち合い、感謝し、励まされ、教区会という一見かしこまった場が、キリストの信仰を共に生きる私たちの祝典の場として生かされますように、聖霊の豊かなお導きと祝福を心から祈ります。
【主教就任十年を迎えて】
私が北海道教区の主教に就任して十年が経ちました。十年前、不安と心配、その他いろいろな思いを持ちながらも、主のお導きと祝福が必ずあると信じて歩み出したことを今思い出し、この十年間、本当に多くの恵みの中で生かされてきたことを感謝しています。特に常置委員会は、教区の運営管理において、いつも主教を支えてくださいました。また教役者の皆様も主教の良き理解者として、主教に協力してくださいました。信徒の方々も巡回の度に温かく迎えてくださり、毎回の巡回が私にとりましては何にもまさる幸せな時となっています。半年に一度の巡回で、共に聖餐に与り、共に祈り、安否を確かめ合い、励まし合う時、私は主教としての存在と働きの原点をいつも教えられてきたような気がいたします。
この十年間の歩みを振り返って、その総括をしなければならないとも思いますが、いつの間にか十年が経って、多分良いことも悪いこともあったのでしょうが、そのような中でいつも導かれて、今の私が、今の北海道教区があるように思えます。いつの時点でも試行錯誤を繰り返し、一喜一憂し、それでも確実に主は前へ前へと進ませてくださったというような思いでおります。もちろん、うまくいかなかったことや間違いも多々あったと思います。そのことによって主教や教区、また教会に対する信頼が揺らいだり、失望を与えてしまったとしたら、そのことはしっかりと明らかにし、今後の反省材料にしなくてはなりません。そのような点を指摘し、またさらに詳しい総括や分析をしてくださる方があれば、喜んでその方に耳を傾けたいと思いますので、私にお教えいただければ幸いです。
【首座主教に就任して】
さて、第六六(定期)教区会に当たり、この一年間を振り返り、また今後の私たちの進むべき方向についてお話ししたいと思います。
昨年五月に開かれました日本聖公会総会で、私は日本聖公会の首座主教に選出されました。かつて渡辺政直主教様が首座主教を兼職されたこともあり、その任務の重さは皆様もよくご存知だと思います。首座主教は日本聖公会においては、自分の教区を持ちながら、日本聖公会を内外に代表し、管区事務所を監督し、総会や常議員会、また主教会の議長を務めることになっています。また役職上、日本聖公会と関連のある施設や学校にも関わることがあります。そのために、東京や日本各地、また海外に出ることが多く、北海道教区主教としての任務が十分果たせていないことを申し訳なく思っています。決して私が首座主教の働きを十分にしている訳ではありませんが、それでも私が首座主教としての職を務めることができるのは、北海道教区の聖職・信徒の皆様のご理解とお支えのお陰だと思っており、その意味で、北海道教区は日本聖公会に貢献してくださっているということを申し上げておきたいと思います。
【日本聖公会、北海道教区】
首座主教就任以来、世界の聖公会の会議にいくつか参加しましたが、改めて日本聖公会の担っている役割の重要性を感じました。現在、世界の聖公会が分裂の危機にあると言われていますが、その中にあって日本聖公会は小さな教会ですが、対立構造のどちらにも組せず、そのどちらに対しても和解と話し合いの継続を提唱し、また聖公会が大事にしてきた 「多様性の中の一致」 を主張し続けてきました。同じことが、日本聖公会の中の北海道教区にも言えると思います。最北の地方教区であり、聖職も信徒も少ない北海道教区が、日本聖公会の中で活気のある教区だと見てくださっている方が多くおられ、また教役者団が一つにまとまっていると羨ましがられることもよくあります。もちろん、外の人々には見えていない問題が多くあることは事実ですが、少なくとも北海道教区がそのように見られているということを私はこの教区の主教として嬉しく思います。
【人事に関して】
人事について申し上げます。十数年にわたって教区事務所でお働きくださった小澤信明さん、木村登美子さん、沖田京子さんが、去る三月末で退職されました。長年の献身的なお働きに深く感謝いたします。特にこの三名は、私が主教に就任してからの十年をいつも私たち家族をそばで支えてくださったことに、感謝の思いでいっぱいです。
本年四月から、北関東教区を定年退職された福島忠男司祭をお迎えし、小樽聖公会で嘱託聖職として働いていただいております。福島司祭以外にも、退職司祭・執事が主日礼拝でご奉仕くださいますことを感謝しております。昨年の教区会で、あと五年も今の状況でいくと、北海道教区は四つの分区をそれぞれ二人の司祭で牧会しなければならなくなると申し上げました。もしそのようになったら、この教区の宣教はたちゆかなくなるという危機感がありました。しかし、その中で、昨年は二十数年ぶりという召命黙想会が開かれ、参加者の中から今年の春には三名の聖職候補生が与えられました。そして来年春からは神学校を卒業・終了する二人と、大韓聖公会大田教区から派遣されてくる司祭が新たに私たちの宣教の仲間に加わります。皆様の篤いお祈りに主がお応えくださった結果であることを感謝いたしますと共に、これからも、教区に聖職への献身者が与えられるように皆様の更なる祈りをお願いいたします。
現時点でわかっている来年の人事異動について申し上げますと、上平仁志司祭が来年三月末で定年となります。今までのお働きに感謝すると共に、定年後も嘱託聖職としてご奉仕くださいますようお願いいたします。次に、来年四月には広谷和文司祭を東京の聖公会神学院に校長として出向させることとなりました。北海道教区の聖職不足が深刻な状況にあって、広谷司祭を送り出すのは大変辛いことと言わざるを得ません。しかし、これは、日本聖公会主教会を始め、神学院理事会や教授会などがかなり以前より広谷司祭を、日本聖公会の聖職養成のための必要な人材だと認めてくださっていたということであり、それに応えることは北海道教区の日本聖公会への貢献ではないかと考え、敢えて広谷司祭を校長として派遣することにいたしました。このことに関して、皆様のご理解とお祈りをお願いいたします。
【献金と宣教】
教区の財政に関して申し上げます。お金のことを教会で口にすることをはばかる風潮がありますが、それは正しくありません。なぜならば財政は宣教の問題だからです。教会はすべて聖職・信徒の献金で賄われます。そして献金は信仰の所産です。高齢化、信徒の減少、低金利、税負担増など、この世の厳しい現実が私たちの日々の暮らしを圧迫していることは確かです。しかし、そのような中で私たちの信仰は試されているのではないでしょうか。「すべてのものは主の賜物。わたしたちは主から受けて主に献げたのです」を生きているか、生きようとしているかが問われていると思います。宣教の本質は、主イエスが共にいましたもう喜びにあります。主が私を愛してこの世に生かしめてくださっている。主は私に溢れるばかりのお恵みをくださっているという感謝と喜びです。その表れとして私たちは献金するのです。ゆえに、財政は宣教の問題です。
献金が増える宣教、今私はそれを提唱したいと思います。それはとりもなおさず私たちそれぞれの教会の宣教の姿勢にかかっています。感謝と喜びがいっぱいある教会生活を私たちがおくっているかどうか。感謝と喜び、それが教会にあれば、教会は楽しい魅力のあるところになるでしょう。そして、そこに家族を友人を誘って連れていきたいと思うようになるでしょう。聖職者の責任は非常に大きいと言えます。しつかりとわかりやすくみ言葉を語り、礼拝を信徒と共同して捧げ、信徒の声に深い感性をもって耳を傾け、信徒を訓練し、信徒をまとめあげて喜びと感謝の溢れる教会を形成していく責任があります。
信徒にとっての宣教は、自分の感謝と喜びの生き方をもって人々にキリストを証ししていくことです。そのためには手を抜いてはいけません。そのような生き方をするため
には、もっと聖書を学び、主イエスの福音を自分のものにし、礼拝を欠かさないことです。そのためには牧師に対して貪欲なまでに、信仰について教えを乞うことです。そして、牧師と協力して感謝・喜びの教会に築き上げていくこと。そこには神様への献げものが当然増えていくはずです。来年春、三人の新たな働き人が与えられることで、来年以降の教区財政を心配する声もありますが、その三人が、また教区のすべての教役者と信徒が神の宣教に励むときに、必要なものはすべて備えられることを私たちは信じたいのです。
信仰に生かされる信徒、その信徒を整えていくためにお仕えする教役者、その両者で築いていく宣教する教会、そしてそれらの教会がメンバーである宣教する教区を、これからの一年間、主が豊かに導き祝福してくださいますように祈ります。