わが愛する聖歌
大倉美江
1.幼い頃、心に響いた清らかな聖歌
わたしが日曜学校の生徒だった頃、聖歌を歌うのが楽しみでした。でも本当のことを言えば、私は日曜学校に行くのが好きではありませんでした。なぜかと言うと、世間ではみんな日曜日には家でのんびり過ごしているのに、なぜ私達の姉妹弟は行かなくてはならないのかと思っていたからです。父にそんなことを言ったら叱られるのが分かっていましたから、毎日曜日に、わずかな献金を貰ってトボトボと教会に通っていました。
でも、日曜学校が終わって、教会の門を通過し家に帰る頃には、「やっぱり来てよかった、きょうの神父さんのお話はためになったし、来なければ聞けなかったのだし、思い切って来てよかった」と思ったものです。佐藤忠輝神父さんのお話は分からないことがたくさんありましたが、でも子供心に、「そんなもんだ」と思いました。そして、「日曜学校に来ない子どもはこんな良いお話を聞けないんだ」と密かに思ったものでした。
そんな小学生の私でしたが、聖歌番号525番のこの聖歌は大好きでした。でも、なかなか歌う機会がなくて、たまにその聖歌番号がボードにはめられていると、うきうきして歌う時を待ったものです。
1 けさもわたしの ちさいくちよ 主のみめぐみを ほめたたえよ
※ 主よこの日も みこころを おこのう日と なしたまえ
2 けさもわたしの ちさいみみよ 主のみことばに ききしたがえ ※くりかえし
3 けさもわたしの ちさいあしよ 主のみおしえを たどりゆけよ ※くりかえし
この聖歌は、幼い子供にも大事な事を静かに訴える凛とした教えがしっかりと語られているように思います。次に記す曲も好きな聖歌です。
2.一生懸命働いたバザーのあとに充実した気分で歌った楽しい聖歌 384番
3.寒い冬に歌う荘厳な聖歌、いよいよ大斎節だと思わせる 55番
4.戦争に行って心身ともに深い傷を受け、悲しみを心にしまったであろう父の愛唱歌 108番
5.余りにも情緒的で気持を入れ過ぎると辛くなってしまう聖歌、とびっきり好きではないのですが
つい口ずさんでしまう聖歌 486番
6.最後に、今現在の心境を語るなら、この聖歌を挙げたい曲 491番
ホームスイートホーム(埴生の宿) “ああ、なつかし” 子育ての時代を懐かしく思います。
私は、奏楽をさせていただくようになって相当な年月になりますが、家でピアノを弾いて練習をする時、こころから喜びを感じます。幼い頃幼稚園の砂場で思った「大きくなったらあのオルガンを弾いてみたい」という夢がいま叶っているからです。その年月には多くの試練がありました。でも「オルガンはいつも私を待っている」と思って、これからもがんばろうと思っています。
平成17年10月29日
《ほっとひといき》 藤田 伸子
今月は大倉姉のお手紙です。お忙しい中、ありがとうございました。パソコンで送って下さり、本当に有り難いです。
お手紙を拝見して、私のような俄信徒ではなく、幼い頃から主日を守ってきた由緒正しさを感じました。お母様も洗礼をお受けになるとのこと。心からお祝い申し上げます。
たくさんの愛唱歌を紹介下さいました。何番がどんな歌か覚えていない未熟者の私は、聖歌集を片手にお手紙を読み進めました。お父様が愛されたという108番。ハレルーヤで始まるこの曲は、とても力強い雰囲気と復活節に歌っていたことで、単純にたたかいに勝利した喜びのように歌っていました。でも、実際に戦争を体験されたお父様にとってはそんな薄っぺらなものではないのですね。
確か、この間大倉姉がオルガニストだったときに選んで下さった491番、埴生の宿。メロディーも歌詞もやさしく、ちょっともの悲しい。そこが惹かれるところですね。
歌にまつわる思い出まで綴っていただき、ありがとうございました。大倉姉の歌声が美しいのは思いがたくさんこめられているからですね。これからも、礼拝堂に美しい歌声やオルガン演奏を響かせて下さい。遠くから少しずつでも近づきたいと思います。
秋も深まり、コタツがうれしい季節となってきました。読書の秋とばかりに、出かける度に本屋さんで本を買っていたら、とても今年中には読みきれない量(読むのが遅いので)となっていました。一度に何冊も読めたらいいのになんて勝手なことを思っています。
来月のお手紙は未定です。立候補大歓迎です。藤田まで直接ご連絡下さい。勤労感謝の日までお待ちしています。連絡無しの場合、藤田の読書感想文(小学校バージョン)となるかもしれません。お許しを。
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