安心しなさい。わたしだ。恐れることはない
特定14の福音書から
司祭 パウロ 藤井文宏
イエス様は湖で波に悩まされている弟子たちを見て水の上を歩かれました。ますますおびえる弟子たちにむかってご自分をあらわされました。引用した聖句はそのときのものです。
このところ、教区内のいろいろな教会におじゃまをする機会を与えられています。いまさらですが、それぞれの教会がそれぞれさまざまな特色特徴を持っていることに気が付きました。

教会の目的はただひとつで、教会のたっている周辺に福音をのべ伝えること、簡単ですがこれしかありません。教会の中で福音を伝えあい、教会の外にむかっても福音を伝えるのが教会のたっている目的です。目的はひとつ祈祷書もひとつであっても、集った人たちやたてられた地域の違いでしょうか、じつにさまざまな姿をおもちです。
なかには教勢がおもうようにふるわないところもあります。10年後20年後の事を考えると、今すぐ行動に移さなければ間にあわない、そういう感を強く持ちます。
教会の外にむかって福音を伝えていないから教勢がふるわない、新しい人に働きかけなければ新しい人はこない。ここまでは自明の理といいますか誰もが分りきっているところなのでしょうけれども、じゃあどういうふうに教会の外にむかって福音を伝えたらいいのか、どういう伝道をその地域にあわせて展開していけばいいか、これは簡単に答えのでない問題です。教会の永遠のテーマともいえます。だからこそどうやって福音を伝えていったらいいか主イエス様ご自身の導きを祈りもとめるかいがあります。わたしをつかわしてくださいと祈り願いもとめるかいがあるのだし、また働きがいがあると考えます。
わたしたちは本当は安心して信仰生活を送り、どんどん伝道に励んでいるはずですが、ときにはイエス様を見失い、困惑することもあるのが現実の姿です。この聖書の個所を読むと、聖書を編纂した時代にも同じ問題が当時からあって、教会のなかにいるのに迷いを抱えた人がいた事がよくわかります。
わたしたちの教区全体としても、長い間の宣教不振と、その結果生じるさまざまなことに悩まされています。しかし、にもかかわらず、イエス様を信じて前向きに祈り求め、イエス様の導きのままに進んでいきたいと思います。
イエス様は不安になったペテロが溺れかけると、すぐに手を伸ばしてつかまえてくださり、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
と、言われました。
わたしたちも、この個所のペテロのように一歩踏みだしてみて、イエス様にしっかりと手を伸ばしてつかまえていただいて、信仰生活を続けていきたいものです。
百歩譲って、迷うことはしかたがない。迷いつつもイエス様につかまっていけたら。迷いつつもイエス様が手をつかまえてくださっていることにわずかでも希望を持てたら。そう考えます。