アンデレ便り 2010年9月1日


2010年平和礼拝

 昨年は教区の中高生大会が広島原爆記念日前後に開催され、礼拝には多くの若者の参加で盛り上がりました。今年は、神戸松蔭女子学院中高・大学生、神戸国際大学の学生、附属高校生、大阪のプール女学院中高生など、約60名が平和礼拝のプログラムに参加してくださいました。5日の原爆詩朗読後の分かち合いの時間では、生活環境や社会的立場が異なる老若男女が原爆について語り合いました。横から皆さんの対話を聞きながら、10代の若者と、中高年の間に横たわる、戦争や原爆への思いや認識には相当の隔たりがあると感じました。世代間のギャップを超えて、共通理解に至るためには、事前学習を含め、きめ細かい準備と配慮が今後求められることになるでしょう。

戦争の醜さの一断面

  昨年の広島原爆の日、カトリック教会神父であり、国連総会議長のミゲル・デスコト・ブロックマン氏が式典で次のように挨拶されました。
 親愛なる兄弟の皆さん、私は、世界がかつて目にしたなかで最大の残虐行為を想起する、この最も厳粛な機会を皆様と共に過ごすことを光栄に思い、また深く心を動かされています。本日、私は国連総会議長としてだけでなく、個人的な立場からも、この場に臨席しています。ローマ・カトリック教会の神父及びナザレのイエスの弟子として、宿命的なB-29エノラ・ゲイ号の故ポール・ティベッツ機長が我々の教会の信者であったという事実に対し、私は心の底から日本の兄弟・姉妹の許しを請いたいと思います。後に、カトリックのチャプレン(従軍牧師)であったジョージ・ザブレッカ神父が、この行為がイエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めたことは、私にとってある程度の慰めではありますが、私は、自分の教会の名において皆様に許しを求めます。
 「なぜ、脳は神を創ったのか(苫米地秀人著)」と題する本で、苫米地氏は、次のように述べております。
 原爆投下のためにエノラゲイに乗り込んでいた乗務員は、正式には12名であり、全員カトリック教徒であった。ところが、ニカラグアのデスコト氏は、「日本人に謝りたい」として、「エノラゲイにはもう一人乗組員がおりました。カトリックのチャプレン(従軍牧師)であった神父です。」と告白した。当時、アメリカの支配層はWASPと呼ばれていた。これは、白人でアングロ・サクソン、プロテスタントという意味である。彼らは自分たち自身の手を汚さないために、庶民の多くが属していたカトリック教徒を選び、しかも、原爆投下を躊躇させないためカトリック神父を乗り込ませた。
 アメリカがなぜドイツに原爆を落とさなかったかは、ドイツがキリスト教国であり、同じキリスト者に残酷な行為はできなかったのがその理由だと著者はいいます。更に、白人キリスト者以外は人間以下の存在、という思想がそこにあったと断定するのです。予断の域を出ない部分も多くありますが、当時、日本においても、日本民族の優越性と、鬼畜英
米を標榜として戦争に突入しました。戦争の大義名分については、どっちもどっちということでしょう。「アメリカ大統領が、原爆を広島と長崎に落とした。」という歴然たる事実だけは歪めてはならないのです。


八代斌助主教のお墓参り

 1970年9月29日・聖ミカエルの日、神戸聖ミカエル大聖堂で、中部教区の小笠原主教に手を置かれ、私は執事に叙任されました。この時、八代斌助主教は不治の病の床にあり、按手式説教に代え、スピーカーを通し、詳細は覚えておりませんが、「他者を赦し、自分も赦され、愛をもって互いに仕え合うことがキリスト者として最も大切なことである」と訴える八代主教の声が聖堂に流されました。式後、鈴木嵯峨先生が、「八代主教があなたを呼んでいます。」といわれ、式服を着たまま病院に向かいました。病室で主教は私の頭に手を置いて祝福してくださり、執事按手の証に、小笠原主教と並んで署名してくださいました。次の日、私は、英国ケラム神学校で学ぶため英国に旅立ち、10月10日、ティータイムのとき、八代主教逝去の訃報に接しました。
 歴史の巡り合わせというのでしょうか、偶然のなせる業というのでしょうか、不肖私が神戸教区主教としての任を今、負わされておりますが、逝去40年という節目の年に、釧路にある斌助主教のお墓参りをしなければとの思いに駆られました。

紫雲台にて

  釧路の教会の皆様に迷惑をおかけしないかたちで、お墓参りをする腹づもりでしたが、出発前日、プレ宣教協議会に出席された、釧路聖パウロ教会牧師下沢司祭から、「信徒の方々に連絡を取ってあります」という電話をいただきました。
 8月20日(金)午後、釧路空港からレンタカーで紫雲台墓地入口に到着。管理事務所には、初めてお目にかかる、津田さんご夫妻と岩崎さんが私たちを待っておられ、墓地まで案内してくださいました。皆さんは手際よく墓を綺麗に水で洗い清め、お花を活け、ローソクに火をつけ、八代家から預かっている、とっておきのウイスキーの栓を開け、これを墓石にかけて掃除は終わりました。わざわざ式文も用意して下さいましたが、私がコピーしたものを用いて共に聖歌を歌い、八代斌助主教のために神に祈りを献げました。主教には、聖ミカエル大聖堂耐震改修工事がほぼ終わり、50年後の大聖堂再建には、次世代に託したいことを墓前で報告しました。

共におられる主教

 式後、斌助主教がお墓参りに来たあと必ず立ち寄るところに、津田さんがご案内してくださることになりました。斌助主教が学んだ釧路中学に関係する場所と推測したのですが、着いたところは「竹老園」という、立派な庭園を備えたそば屋さんでした。岩崎さんが食前の祈りを献げてくださり、私たちは、クロレラを練り込んだ緑色のそばを満喫。津田さんが持参された、「ミカエルの友88号(北海道特別号・1962年)」を斜め読みしますと、斌助主教の、北海道の人たちへの篤い思いがひしひしと伝わってきます。北海道と神戸という場所や、40年,50年という年月を越えて、斌助主教を中心にした会話が弾みます。主教も部屋のどこかに居て、私たちの会話を聴いているようでした。
 突然の訪問にもかかわらず、私のために墓地まで案内してくださり、食事まで共にしてくださった津田さん、岩崎さん、そして下沢司祭に感謝しつつ釧路を後にしました。

 

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