今月の説教要旨
2001年8月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士
2001年8月5日(聖霊降臨後第9主日)

『人間の貪欲からの解放』

今朝の福音書で、イエス様は「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」(ルカ12:15)と言っておられます。

 人間は根っからの貪欲であることは、今も昔も変わりません。ことに遺産相続、分配の問題になると、兄弟でも醜い争いをくり広げることも世の常となっています。

 私の父親は十人兄弟の末っ子でしたが、東京へ出て立教大学に行き牧師になるために、遺産相続権を自ら放棄したそうです。他の兄弟たちは莫大な山林・田畑・土地を相続したそうです。ちゃんと父ももらっておいてくれたら私も老後の生活にも余計な心配しなくてよかったろうに、といささか残念に思います。

 さて人間の貪欲の問題は限りないものです。昔から童話で人間の貪欲の罪を教えたものがたくさんあります。例えばかつて日曜学校で何度となく見せられた紙芝居、『金の魚』。貧しい老夫婦がいて、おじいさんは毎日海辺で魚を釣り貧しい生計を支えていましたが、魚が少しも釣れなくなり、おばあさんはおじいさんに文句ばかり言っていました

 ところがある日、おじいさんは大きな金色の魚を釣り上げ、大もうけになるところ、あまりの美しさに、おじいさんはその魚をそっと海に返してやりました。魚はお礼を言って、「困ったことがあったらなんでも叶えてあげましょう」と言い残して海へ帰りました。おじいさんは家に帰っておばあさんにその話をするとカンカンに怒り、「家中ご馳走が一杯になるように金の魚に頼んでこい。」と、おじいさんに命令しました。仕方なくおじいさんは海辺へ行って手をパチパチたたいて「金の魚さん出てきておくれ」。金の魚が出てきて「何のご用ですか」と。「うちのばあさんが家中ご馳走で一杯にしてくれるよう頼んでこい、というんだ。」「わかりました、家にお帰りなさい。」おじいさんが帰ってみると家中ご馳走で一杯、おばあさんがガツガツ食べています。それからというものは欲張りばあさんは次々と要求を出してどんどん裕福になって行きました。それでもあきたらず、とうとう金の御殿を建てるようにおじいさんに命令。おじいさんは金の魚に頼みました。ところが、金の魚は悲しそうな顔をして海に帰ってしまいました。おじいさんが家に帰ってみると、なんとすっかり元のボロ屋になってしまっていた、というお話。

 日本の童話でも『舌切り雀』『花咲かじいさんと隣の欲張りじいさん』の話など、よく似たものがいくつもあります。こうして昔から「貪欲は罪なり」と言うことがよく教えられてきたのです。

 人間の貪欲の中でもいちばん強いのは所有欲です。かつていくつもの国が他国を植民地化してきましたし、利益のために環境破壊、自然資源を略奪してきました。

 今日の使徒書でも「貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」(コロ3:5)とパウロが書いています。

 それでは私たちはどのようにして、この人間の貪欲の罪から解放されることができるのでしょうか。その答えは使徒書にしっかりと書かれています。

「いつも感謝していなさい。」(コロ3:15)
「感謝して心から神をほめたたえなさい。」(同3:16)
「イエスによって、父である神に感謝しなさい。」(同3:17)

 私たちは貪欲に埋もれて生きるのか、神への感謝を基本にして生きるのかが問われています。私たちは感謝(信仰)によって、人間の貪欲から解放されねばなりません