| 今月の説教要旨 2002年2月 |
| 2002年2月3日(顕現後第4主日) |
『心やさしい聖書の人間観』
三年前、大きな感動を受けたひとつのことを想い出しています。向井千秋さんと宇宙飛行士一行が来日されたときのことです。
その一行の中には、あの最年長の飛行士・グレンさんも居られたが、報道陣のインタビューの中で次のように言われました。
「人が齢をとっても齢をとったもののように生きるのではなく、いつも希望と夢を持って生きるべきである。」
素晴らしい言葉だと思いました。72歳ということでしたが、彼が成功者だから言えたというのではなく、ずっと、そういう人間観又は信念を長い間貫いて生きてこられた人としての言葉だと思いました。
グレンさんには温かい人柄が感じられ、人についての深い尊厳の念を抱いておられ、人間をこよなく、やさしく見ておられる点が素晴らしいと思ったのです。
人は齢をとってくると、体力も弱り、身体のあちこちに傷害が出たりするので、人としての自信や自分への尊厳の念が薄らいでしまいます。若い者に世話をかけたり、やっかい者扱いされることもあるので、段々、心が老人として自覚させられたり、いじけた気持ちになったりするものです。グレンさんの言葉は、そういう老人にも暖かい励ましを与え、齢をとったことに自信を失ったりせず、堂々と前向きに生きるべきことを語りかけてくれています。
今日の福音書は有名な「山上の説教」の部分です。これを読むと、第一印象として、イエス様が徹頭徹尾、人をやさしく受け入れ、やさしい目で人を見ておられることを心深く感じさせられます。「心の貧しい人々」、「悲しむ人々」、「柔和な人々」、「義に飢え渇く人々」…。それらは私達自身ではありませんか。その一人一人に対して、「幸いである」、「慰められる」、「地を受け継ぐ」、「満たされる」と、やさしく語りかけてくださっています。
ここにイエス様のやさしい人間観が溢れています。イエス様の心やさしい人間観は数々の教えや、いやしの奇跡物語にも表されていますが、特に、十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言われた言葉が最も印象深く感じられます。自分を罵倒する者、十字架につけられた人々、まさに、イエス様の「敵」ではありませんか。そのような人々一切を受け入れ、「彼らをお赦しください。」と祈って息を引き取られるのです。
このようなイエス様の中に見られる心やさしい人間観は、取りも直さず、神自身の人間観です。旧約聖書の最初から、神は天地宇宙万物、人間の創り主として、この世のもの、殊に人間は、本来から神に祝福されているものとして描かれていて、聖書では一貫して、神の心やさしい人間観に溢れています。
今日の旧約テキストでも「我が民よ、思い起こすがよい。」(ミカ6:5)と語られ、さらに使徒書でも、「あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。」(コリント一1:26)、「身分の卑しいものや見下げられているものを選ばれたのです。」(コリント一1:28)と述べられています。
神様もイエス様も、私達人間を心やさしく見てくださっているということに、改めて感謝し、聖書を通じて、神様とイエス様の心やさしい人間観を学び取りたいと思います。