今月の説教要旨
2002年5月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士
2002年5月5日(復活節第6主日)

『真のぶどうの木とその枝』

 今朝の福音書は先週と同様、イエス様の十字架前夜の弟子たちに対する決別の説教の一部です。

 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」(ヨハネによる福音書15章1節)

 「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である。」(同 5節)

 旧約聖書では「ぶどう」はイスラエル民族を象徴する言葉として用いられ、殊に預言者たちは「堕落したイスラエル民族」「できそこないのイスラエル民族」という意味合いで用いていて、そしてそのような背景の中で、来るべきメシア(救い主)を指し示し、主に立ち返るように戒めたのです。

 主イエス様の当時は、イエス様の新しい教えを信奉し、主に従うものが多く出てきた一面、また彼らの多くはユダヤ教側から破門され、そのことで心が不安になり、せっかく身につけたイエス様の教えに対しても、いい加減になったり、主に従うことに動揺したりして、「堕落したキリスト信者」「できそこないの信者」になるものも少なくありませんでした。それでイエス様は、「まことのぶどうの木」「その枝」という言葉を用いて、本当のイスラエル民族、本当の教会のひな形は、主ご自身とそれにつながるキリスト信者・弟子であるということを示されたのでした。すなわち、主は弟子たちに真の教会のひな形として保てるように「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」(同 4節)と勧めておられるわけです。

 このヨハネ福音書はおよそ紀元100年頃に書かれたそうですが、その当時、「堕落した教会」「できそこないの教会」という状況がもっと顕著に現れていたと思われます。それで著者ヨハネも、このことについて深い思いをもってキリスト様の言葉を思い起こしつつ、文章化したと考えられます。

 さらにもう一つの背景を知らねばなりません。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」という言葉は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものはわたしにおり、わたしもまたその人にいる。」(ヨハネによる福音書6章56節)という言葉を思い起こさせます。明らかに聖餐式を思い起こさせられます。

 これらの背景を考慮して読むとき、私たちが教えられる第一のことは、「まことのぶどうの木」としてのイエス様に、私たち信者が「その枝」としてしっかりつながっていなさいということです。ユダが間もなく主を裏切り、十字架の時には弟子たちも逃げてしまうことになります。

 しかし、主はそれでも弟子たちと今日の教会に「堕落した教会」「できそこないの教会」にならないように、主にしっかりつながっているようにと、励ましておられます。

 第二は、どのようにして「枝」である私たちが「まことのぶどうの木」イエス・キリスト様につながっていることができるか、という問題です。それは聖餐式に最大限の努力をもって陪り、パンとぶどう酒を頂くことを通して、ぶどうの木と枝が一体であることを体験させられることによって、私たちは主イエス様の身体なる教会に正しくつながっていることができる、というメッセージを聞かされているということでしょう。

 聖餐式の大切さを改めて噛みしめ、聖餐に良くつらなり、しっかりイエス様につながれて、主に祝福された清い働きの実を結んでゆく信者、教会に益々成長できるように、互いに頑張ってゆきましょう。