今月の説教要旨
2002年8月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士
2002年8月4日(聖霊降臨後第十一主日=特定13説教要旨)

『五千人の給食物語りから学ぶこと』

 本日の福音書(マタイによる福音書14:13-21)は有名な「五千人の給食物語り」です。

 イエス様は僅か五つのパンと二匹の魚でもって五千人以上もの大群衆を養われたことを伝えたものです。神の力や神の恵みを知らない者にとっては信じられない出来事でありました。弟子たちには、五千人以上の群衆の前には五つのパンと二匹の魚は何の価値も効果もないものに思えたようです。しかし、主イエス様の祈りの後に配られたこの僅かな食物は大群衆を満腹させ、食べくずまで出るほどの余りあるものとなりました。

 この物語りは一口で言うと、神の恵みの莫大さを伝えていると言ってよいでしょう。神の恵みは人間の価値観や常識を越えるものであることが教えられます。人間の目にはどんなに小さく、貧しく見えても、神の豊かさは人間の想像をはるかに越えるものであることを知らされます。

 ちなみに、聖書のこの箇所は、文語祈祷書では、大斎節中間に当たる「リフレッシュ・サンデー(一服の日曜日)」と一年の最終主日の降臨節前主日と、年二回読まれていました。もちろんそれまでの神の支えと豊かな恵みに感謝するためであり、たいへん時宜に適ったものでした。

 さて、目に見える神の恵みで最大のものは食物と水の恵みではないでしょうか。人間の死活に関わるものですから。イスラエル民族がエジプトを脱出した後、すぐ直面した問題は、やはり食べ物と飲み水の問題であったことを思い起こしましょう。天からのパン、ウズラによる肉、石から湧き出させた水で、神様はその時その時、奇跡によって彼らの飢えと渇きをいやし、救われました。

 毎年この暑い時期になると、食中毒のニュースが流れます。七月にはあの有名な大阪の某食堂で集団中毒が起こりました。また、あるテーマパークでは工業用水が飲料水に混入するという事件もありました。狂牛病の問題も一応おさまり、やれやれという時なのに困ったことです。

 O-157菌による食中毒でパニックになったのは六年ほど前のことでした。あのときは、肉もいけない、魚もいけない、生野菜もいけない、ということで、戦時中・戦後の食糧難とはまた違った「食べ物のパニック」でした。大きな危機感を味わわされました。豊かな食物が溢れた「飽食時代」への警告だったのかも知れません。ちょっと立ち止まって、食べ物とわたくしたちの生活の仕方を考えるように促されているようにも思えます。このような状況の中でこの「五千人の給食物語り」はまた、特別な響きをもってわたくしたちに迫ってくるのではないでしょうか。

 何年かに一度、「世界食糧サミット」というのが開かれます。人類の直面する最大の課題は食糧の問題だとして、今後の世界の食糧をどう確保するかの政策や行動計画が話し合われています。日本は今恵まれていますが、飢餓対策が講じられねばならない貧しい国も多いと言われています。地球家族としての共存社会を目指してわたくしたちは何をすればよいのでしょうか。

 『食物のことで何を食べようか、何を飲もうかと思いわずらうな。』(マタイによる福音書6:25〜)

 このような教えも何か無縁なほど、食べることのどん欲さになれてしまったわたくしたち現代人は、神の与えられる恵みの莫大さとその力をもっと深くかみしめなければならないのではないかと思います。

 『神の恵みを無駄にしてはいけません。』(コリントの信徒への手紙二 6:1)

 世界のすべての資源を大切にし、神の恵みをどう分かち合うかという問題をもっと真剣に考えてゆきたいと思います。