今月の説教要旨
2002年11月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士
2002年11月3日(諸聖徒・諸魂記念礼拝説教要旨)

『天の全会衆とともに』

 本日の礼拝は諸聖徒・諸魂記念の礼拝として守りたいと思います。諸聖徒日は教会歴史上の信仰の先達を記念し、諸魂日も戦争犠牲者を含めたすべての逝去者を覚えて祈る大切なものです。

 教会ではこのような礼拝を捧げ、教会墓地で墓参(逝去者記念式)を行ったり、納骨堂で短い祈りをする教会も多いようです。

 立教大学でも、毎年その一年間になくなった教職員・学生のご遺族を招き、要職にある総長先生他の方々にも出席していただいて、チャペルで逝去者記念式をした後、茶話会で故人を偲ぶひとときも持っていました。

 また、立教では、その頃、恒例の「レクイエム」がチャペルで開催されます。チャペルの聖歌隊とオーケストラによって、モーツァルトの『レクイエム』(死者のためのミサ曲=鎮魂ミサ曲)奉唱会が行われ、わたくしも在職中毎年開演前に祈りをし、短いメッセージを語っていました。それは単なる演奏会ではなく、「レクイエム」(本意は神による安息の意)の演奏を通して全逝去者のために祈る「礼拝」に準じた活動でした。

 教会はこうした逝去者のための祈りを古来大切にしているのです。

 聖餐式の中で、「ゆえにわたしたちは、み使いとみ使いの頭および天の全会衆とともに、主の尊いみ名をあがめ、常に主をたたえて歌います」(祈祷書174ページ)と祈るところがあります。この一文で明らかなように、聖餐式は「天の全会衆とともに」捧げられる礼拝ということです。キリストの十字架を記念しつつ、すべての信仰の先達者、すべての逝去者を聖餐式の毎に記念しますが、死者のために祈るだけでなく、死者とともに祈るという姿を持っていることに気づかされます。

 聖餐式は天の会衆(死者)と地上の会衆(生者)との合同礼拝であります。逝去者祈念式も、同様に、個人のために祈ることに止まらず、死んだ者も生きている者も一緒になって、主を賛美するという一面を持っています。神の前に死者と生者との区別はなく、そこに存在するのは唯一の永遠の命の世界なのです。大阪の堺聖テモテ教会は前方の祭壇の真裏側に納骨堂が設けられていて、この趣旨がよく考えられて造られているなあと感心した次第です。

 小浜の教会時代、教会幼稚園の園児一家が交通事故で、園児と父親が亡くなるという痛ましい出来事を経験しました。仏式お葬式にも参列しましたが、どうしても幼稚園の礼拝堂で祈ってあげたくて、多くの保護者、園児といっしょに追悼式をしました。大人はみんな涙を流し、聖歌を歌い、祈りました。でも、園児たちは式中も、お別れの献花のときもニコニコしているのがたいへん印象深く思いました。園児たちとしては「○○ちゃんは今も一緒にいる」としか思えなかったのでしょう。いつもとかわらず、「○○ちゃんは今も一緒にいる」ことを決して決して疑わないで、ニコニコしながら献花をしている姿には、感動もし、大いに教えられる思いでした。

 園児たちはしばしば大人に大切なことを教えてくれるものです。神の前に死者も生者も区別はない。みんながいつもそのように思うことができたら、どんなに素晴らしいかと思います。

 主日礼拝もわたくしたちだけで祈っているのではなく、教会のすべての信仰の先達者たちと共に捧げる礼拝であると思えば、実に力強いことではありませんか。いつも「天の全会衆と共に」生き生きした礼拝を捧げてまいりましょう。