今月の説教要旨
2003年6月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2003年6月1日(復活節第7主日=昇天後主日)

『祈っていてくださるイエス様』

(テキスト=『ヨハネによる福音書』17章11節〜19節)

 この記事は、弟子たちへの訣別の説教のあとに祈られたイエス様の祈りです。

 イギリスの宗教改革者ジョン・ノックスは58才の若さで亡くなったのですが、その臨終のとき、枕元に家族が集まる中で、妻に「わたしが初めて錨をを下ろした聖書の箇所を読んでくれ」と頼んだところ、妻がこの聖書の箇所を読み、ノックスはこれを聞きながら静かに息を引き取ったということです。ノックスにとっては、この記事は最も生きたみ言であり、最も安住を得た聖書の言葉だったのでしょう。

 このイエス様の祈りは「大祭司の祈り」と呼ばれているものです。イエス様は旧約の大祭司に倣って、ただ一回限りの十字架の死によって、人々の罪の赦し(贖罪)のための中保者(執り成し役)として犠牲の供えものになってくださったのでした。そのイエス様が自らの死の前に、弟子たちと世の人々のために祈られたのがこの祈りであります。

 大別して次の三つの祈りがなされています。

 (1)「彼らを守ってください。」(11節)

 「彼らも一つとなるため」と言っておられるのは、イエス様の死後、弟子たちがバラバラになってしまわないようにとの意味でしょう。確かにこの祈りの後、イエス様は逮捕され、十字架にかけられるに及んで、弟子たちは逃げてバラバラになってしまいました。しかし、彼らは復活の主に出会い、さらに聖霊の降臨によって強められ、再び一つになって、宣教の働きを開始しました。本当にバラバラにならないように「彼らを守ってください。」と祈られたものであり、真に主の愛に満ちた祈りです。

 (2)「悪い者から守ってくださることです。」(15節)

 弟子たちのためのすべての危害危難から守られるように祈られたでしょうが、それだけではありません。この世のすべての悪の誘惑から「お守りください」と祈っておられます。「悪い者」とは、この世のサタン(悪魔)です。弟子たちが、悪の誘惑に包まれた「この世」に埋もれたり、同化してはならない。だから「世から取り去ることではなく」(15節)と祈っておられるのです。「世」に背向けるのでなく、この世のサタンと戦い、この世に積極的に入って行かねばなりません。それは危険なことです。だから、弟子たちがそのような危険に陥ることのないように「守ってください」と祈らねばならなかったのです。これもイエス様の、弟子たちと世の人々に対する深い愛と配慮からの祈りに違いありません。

 (3)「彼らを聖なるものとしてください。」(17節)

 口語訳聖書では「聖別してください」となっています。それは何のためでしょうか。「心理によってささげられた者となるためです。」(19節) この言葉は「彼らを世に遣わしました。」(18節)という言葉と関連を持っています。

 福音宣教のために、その「器」として聖別される必要がありました。弟子たちが、この世と妥協して生きる者でなく、あらゆる悪の誘惑をはらんだこの世から、「聖いもの」として選び分かたれねばならないのです。

 こうして見ると、この、三つの祈りはもはや一つの祈りのようです。いずれにしても、主の深い愛に満ちた祈りであり、中保者・執り成し役としての「大祭司の祈り」と呼ばれるにふさわしいものであります。今日の教会、信徒一人一人のためにも祈られた永遠の祈りとも言えるものです。ほんとうに大きな慰めと励ましが与えられる祈りであります。そこにジョン・ノックスがこの聖書の箇所を深く愛し、安住を得たゆえんでもあるのではないでしょうか。

 最後に次の二つのことを心に留めておきましょう。

 第一は、主イエス様はわたくしたちのため、教会のために祈ってくださっているということ。すなわち、わたくしたちが「主よ、お守りください」と祈る前に、主ご自身の方から、父なる神に「お守りください」と祈ってくださっているということです。信仰とは、祈ることだけでなく、祈られているということを知る者の世界だと思うのです。

 第二は、教会・信者は、主によって「この世」に派遣されているということです。自らの生き様と、主の弟子たちとともに、福音宣教のために「遣わされている」ということを自覚せねばなりません。