| 今月の説教要旨 2003年8月 |
| 2003年8月3日(聖霊降臨後第8主日) |
『生きたパンを求めて』
(テキスト=『ヨハネによる福音書』6章24節〜35節)今週6日(水)広島原爆、9日(土)長崎原爆の記念日を迎えるので、各地で平和記念行事が行われることでしょう。
「平和」は人類の永遠の課題です。イエス様が最後のエルサレム入りをされたとき、エルサレムの都を見やりながら、「平和にかかわることを知ってさえいてくれたら…」(口語訳 ルカによる福音書19章42節)と泣いて言われたことを私たちはいつまで想い起こさねばならないのでしょうか。
平和の課題は戦争や民族対立がなくなることが第一でしょう。しかし、それだけではなく、食べ物の課題も平和にかかわる大きな課題です。日本は敗戦により、食糧問題に大いに悩まされた経験があります。そして戦後、高度経済成長に成功して、世界有数の豊かな国になりましたが、今やまた、大不況に陥っています。
一方、世界では食べ物の問題が大きな悩みとなっています。先進国と開発途上国や未開発国との間のいろいろな格差(南北問題)がある中で、食べ物の格差もたいへん大きいものです。アフリカやアジアでは難民生活を強いられ、飢餓問題を抱えているところが多いようです。最近では北朝鮮問題がいろいろと取り沙汰されていますが、その陰で、ひどい食糧難にあえぐ人々も多く、多数の子供も犠牲となっていると言われます。
イエス様は、「自分の命のことで、何を食べようか、何を飲もうかと……思い悩むな。」(マタイによる福音書6章25節)と、また、「人はパンだけで生きるものではない。」(同4章4節)と教えられました。にもかかわらず、こんな問題が世界中で起こっているのです。
本日の旧約聖書では、「天からのマンナ」、天からのパンの奇跡の記事が読まれました。エジプトを脱出したイスラエル民族が最初に行き詰まったのも食糧(パン)の問題でしたが、神は朝露をパンに変えて彼らを助けられました。この奇蹟は、彼らが、彼らの神、主を知るようになるためのものでした。(出エジプト記16章12節)
また、本日の福音書もパンにからんだ教えの部分です。先々主日は「五千人の給食物語」、先主日はその後も群がる群衆の話を読んだのですが、それはイエス様の奇蹟を正しく理解せず、<パンの供給者>としての政治家イエスを追いかけている姿を表すものでした。
イエス様は「わたしが命のパンである。」(マタイによる福音書6章35節)と宣言されていますが、彼らは真の救い主イエスを追い求めるのではなく、パンの奇蹟のみを追い求める人々でした。そのような彼らに、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」(同6章27節)と言われました。朽ちてなくなってしまうような肉のパンのためではなく、永遠の命にかかわるパンのために働き、生きなさいとの教えに他なりません。パンを求める熱狂的群衆に対して、「神がお使わしになった者を信じること、それが神の業である。」(同6章29節)と教えておられます。
「神の業」とは信仰です。信仰とは、「私が“命の”パンである」と言われる主を信じることです。パン(食糧・利益)を追求するような生き方をするのではなく、命の主・イエス様を心から追求して生きることが信仰であり、私たちに求められている課題だと想います。
食糧の問題で苦しみ悩む人々への援助が考えられねばならない一方で、私たち自身の生き方についても問いかけられています。それはすべての恵みの主であるイエス様を心の底から信じ、そのイエス様に従うことではないでしょうか。