| 今月の説教要旨 2003年9月 |
| 2003年9月7日(聖霊降臨後第13主日) |
『悪との戦いと信仰復興運動』
(テキスト=『特祷・特定18』)本日の特祷を見ますと、「悪との戦い」がテーマになっているように思います。先週の使徒書(エフェソの信徒への手紙6章10節〜20節)でもそのテーマに沿った聖句を読んだ次第です。
「悪との戦い」に打ち勝つことを、「神の助けによって戦います。」と洗礼のときにも賢信のときにも私たちは約束しています。悪の誘惑・力に打ち勝つには、あまりにも人間は弱いからですが信者にとってはこのテーマは実に大切なものです。
「悪との戦い」ですぐ思い出すのは聖歌412番(たてよいざたて)です。聖歌300番(みよや十字の)と並んで、勇ましい霊戦を歌ったものです。どんな時代、どんな平和な時代にあっても、悪との戦いを高らかに歌い、主の勝利の賛歌を力強く歌われる必要性があるのではないでしょうか。
聖歌412番の歌詞についてのエピソードですが、米国のジョージ・ダフィールドという名門家の牧師によって1858年に作られました。この1858年は、米国で大リバイバル(信仰復興運動・信仰覚醒運動)が起こった年です。
ある日曜日、ダドリ・ティングという若い聖職が、五千人の会衆の前で熱弁をふるったのですが、四日後に急死しました。彼は死の直前、周りのキリスト教青年会(YMCA)の人々、若い聖職同労者に "Tell them to stand up for Jesus" と伝え、息を引き取ったそうです。「主のために立ち上がれ」という意味でした。
彼の葬式でこれを聞いたダフィールド牧師が家に帰って、"Stand up, stand up for Jesus" という聖歌412番を作詞したといわれています。
なぜリバイバルが起こったのでしょう? 教会の歴史上、いくつものリバイバル運動が起こってきました。宗教改革も代表的なリバイバル運動であります。そして、そういうリバイバルが起こる背景は、信仰や生活や道徳がいい加減になり、何もかも沈滞する状況です。そういうときに「立ち上がれ」というリバイバルが起きる必然性のようなものが存在します。
1858年の米国のリバイバルが起きた背景を考えてみますと、ちょうどその十年前、1848年に、カリフォルニアで金鉱が発見され、以来、いわゆる「ゴールド・ラッシュ」の時代でした。人々は砂金に眼の色を変えて、西部へ移動、欧州にも伝わり、ゾロゾロ人々が移入して来ました。カリフォルニア以外でも次々と金鉱が発見され、もう人々は血まなこ。
当然アメリカ社会のこのような状況は、教会や信者の信仰生活にまで影響を与えたことは想像に難くありません。そこで1851年北米YMCAが設立された事実や、1852年オルバニーでの組合派教会の大集会が開かれた事実を考えても、人々の心を立て直してゆかねばならなかった当時の様子が、当然のこととして考えられるのです。リバイバルは教会教派にも波が押し寄せたでしょう。
1859年(安政6年)リギンス・ウイリアムス主教、プロテスタント宣教師が初めて来日しましたが、その信仰の勢いも、1858年のリバイバル運動と無関係ではないと思います。ちなみに、日本でも明治16年、横浜での祈祷会が数週間も続き、それがリバイバル化し、東京、京阪神にまで及び、教会が活気づいて行きました。入信者も激増したそうです。翌年、同志社でリバイバルが起こり、二百名の学生が信仰告白したそうです。
これらのリバイバルの特徴は必ずと言ってよいほど、聖書(み言葉を聴くこと)と聖霊に満たされることが強調されます。人の救いも、信仰の復興も、神の言葉に聴くということなしにはあり得ないものであります。ゴールド・ラッシュのとき、多く人々は砂金に心を奪われ、神の言葉、信仰を失って行ったということでしょう。
さて、私たちは今どのような時代に生きているのでしょうか。経済大国とまでいわれている中で、人々はどこに目を向けているのでしょうか。またまた不況の様子を呈している日本の現状ですが、まだまだ唯物主義、土地や金や物に心を奪われているとは言えないでしょうか。神の言葉や信仰を失っていないと言えるでしょうか。ゴールド・ラッシュ時代の人々の心が見え隠れしてはいないでしょうか。
信者数の減少、礼拝出席者数の減少が聖公会の数年間の現象を考えても、何らかのリバイバルが必要とされているのかも知れません。「立てよいざ立て、主のつわもの」を、より高らかに歌い、神の言葉、信仰から目をそらす悪と勇敢に戦えと、促されているように思います。