| 今月の説教要旨 2003年10月 |
| 2003年10月5日(聖霊降臨後第17主日) |
『主の家族である教会』
(テキスト=『マルコによる福音書10章2節〜9節』)本日の特祷で明らかなように、今週の教会生活の課題は「主の家族である教会」であります。
旧約日課では、人間の創造、ことに、女の創造物語を読み、「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2章24節)と、男と女の共同体、夫婦、家族という共同体に目を向けさせられています。
また、福音書日課では、イエス様を試みるためにファリサイ派の人々から離婚問題について質問されたのに対して、主は厳然とそれを否定され、「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」(マルコによる福音書10章8節)という旧約のことばが再び語られ、しかも、新たに主は「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコによる福音書10章9節)と語り、ファリサイ派の人々を撃退されています。
教会の結婚式では、夫婦が約束を交わし、指輪を交換した後、司祭が結婚成立を宣言し、続いて二人が取り合わせた手にストールを巻き、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」と厳しく言い聞かせます。式中最も厳粛、神性な瞬間です。結婚は神から与えられた特別の恵みであり、それ故に、人間の都合で離してはならない、と告げられているのです。司式者にとっても、この言葉を言う時、心から、その二人が末長く神に祝福された夫婦となってくれることを祈らずにはいられません。
さて、式の序言の中で、「結婚は、キリストとその教会が一体であることのしるしです。」と述べられますが、結婚は、キリストと教会の一体性を具現するものだと教えているのです。つまり、夫婦の一体性はキリストと教会の一体性を具現するものだという意味です。ですから、結婚は「主の家族」を具現、反映するものとして尊ばれなければなりません。
そこで今、結婚よりむしろ「主の家族」に目を向けねばならないのです。
「神が結び合わせてくださったもの」とは、教会という共同体であり、わたくしたち信徒一人一人のこととして捉える必要があります。
わたくしたちは洗礼を受けて教会(主の家族)に受け容れられています。洗礼によって教会の一員とされます。洗礼を受けることは、いわば、キリスト様と結婚するという神的な事柄であります。クリスチャンになるということは、神が愛し、神によって選ばれ、神に召されたことの結果であって、それ故に「神が結び合わせてくださったもの」なのです。ですから、信者になった者は、自分の都合や他人の手によって教会から切り離されたりしてはならないということでもあります。信者になるということは「神が結び合わせてくださったもの」である故に、神から与えられた恵みであると考えなければなりません。
残念なことに、いったん洗礼・堅信を受けて信者となった人で、どんなに多くの人々が教会を離れ去っていることでしょうか。離婚が起こってくるのと同じように、いろいろな事情があると思いますが、決して自ら教会を離れてはならないのです。教会は「神が結び合わせてくださったもの」であるからです。
このためにわたくしたちは再び特祷に戻って、「主の家族である教会を、絶えることのない恵みのうちにお守りください。」と祈らねばならない事情を顧みる必要があるのではないでしょうか。
どうか、教会がキリスト様との良き夫婦であるように、「良い行いをもって熱心に主に仕え、み名の栄光を現すことができますように」、心から主に願い求めつつ、この一週間を過ごしたいと思います。