今月の説教要旨
2003年12月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2003年12月7日(降臨節第2主日)

『道を整える働き』

(テキスト=『ルカによる福音書3章1節〜6節』)

 キリストご降誕を迎える日が段々と近づいてきました。主の歩まれる道を整え、自らの心をも整えてゆくのが降臨節の主旨です。

 本主日と次主日と連続で、福音書はバプテスマのヨハネに焦点が合わされて記事が選ばれ、特祷もヨハネを含めた預言者に関心を向けさせています。

 特祷では、預言者の働きが「救いの道を備えるため」と意義づけ、キリストへの道備えとなったものであることが示されています。そして、預言者の警告に耳を傾け、キリストの来臨(降誕)を喜びをもって迎えられるようにと祈られています。

 また、福音書では、バプテスマのヨハネの記事から、彼の最後の預言者としての働きが記され、「悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(3節)と記されています。そして、イザヤの預言を引用して「主の道を整え」ることであったと語られています(4節)。

 そこでは、キリストとの関係が明確に示されており、キリストへの道備えをしたのがヨハネであり、預言者として主の歩まれる道を「整える」ためであったことにわたくしたちの目が向けられています。

 教会聖職者の重要な働きは、主の道を「整える」ことであり、ヨハネや旧約のすべての預言者の働きを引き継ぐためのものであることは言うまでもありません。教会内外の人々の心をキリストの前に「整え」て行くことが、全聖職の最も大切な働きであります。

 一方、信徒を含めた「教会」にも「司祭職」の意味が与えられていますから、それこそ、教会というものが、多くの人々の道を「整え」て行く働きに召されていることを記憶せねばなりません。道路の整備も必要でしょうが、人々の心を整える働きはもっと大切です。

 預言者の働きは、一口で言うと、「主に立ち帰れ」という警告を人々に語り告げることでありました。旧約聖書によれば、アダムとイブ以来、人間はいつも神から遠ざかる歴史をたどりました。人間は本来「神のもの」として造られたものであるのに、彼らは常に罪を犯し、神をないがしろにして生きようとしました。イスラエル民族の歴史もそうであったように、わたくしたちの日常生活も似たり寄ったりではないでしょうか。

 わたくしたちは、いつも「この世のこと」に振り回され、神をないがしろにして生きているという実態もなきにしもあらずです。そのようなわたくしたちは、預言者的使命を負った教会を通して、「主に立ち帰れ」と促されて生きているのだと思います。

 イエス様は「ああ、なんという不信仰な、曲がった時代であろう。」(口語訳・ルカによる福音書第9章41節)と嘆かれ、初代教会のペトロも「この曲った時代から救われよ」(口語訳・使徒行伝第2章40節)と宣教しました。わたくしたちの世界も、いろんな意味で曲がっています。世界には憎悪や殺りく、不正が満ちています、平和がそこなわれています。イラク問題ひとつ取ってみても、それだけ、人の心が曲がっているのであります。「主に立ち帰」らねばなりません。そうすることによって、人間一人一人も、世界も、主の道を「整え」ることになるに違いありません。

 主の道を整える働きは、大切なお客を迎える話に似ています。家を掃除し、部屋をきれいに整え、ごちそうも整えます。平和の主、神の御子をお迎えするのに、世界中の人々が、もっともっと努力をしなければなりません。

 政治家は国の安全、経済の安定を確立するためにがんばってほしいです。教育者は学校や幼稚園で、幼子や生徒たちに、正しい知識を与え、豊かな心を養い、健全な人間の道を整えてやってほしいです。警察も社会の安全を徹底して守ってほしいです。医療機関も医療ミスなどしないで、病人の心を安心させてほしいです。

 どの働きもみな、主の道、人の歩む道を整える大切な働きです。中でも教会こそ、正しい宗教こそ、人を変え、整えてゆく働きに特別、神様から召されているのだと思います。人の歩む道は主の歩まれる道だからです。大切なお客(神の御子)をお迎えするために、神の家(世界)をきれいにお掃除して待ちましょう。