| 今月の説教要旨 2004年6月 |
| 2004年6月6日(聖霊降臨後第一・三位一体主日) |
『神の国のヴィジョンに生きる』
(テキスト=『ヨハネの黙示録第4章1節〜11節』)本日は聖霊降臨後の「三位一体主日」で、父なる神、子なる神、聖霊なる神の統一的なお働きを感謝、記念する特別な日です。それは神の国完成への体制が整ったことを記憶する日でもあります。本日の使徒書から学びたいと思います
ヨハネの黙示録は紀元80〜100年頃に書かれたようです。つまり、ローマの迫害が最も厳しかった時代に書かれたものと言うことになります。そして、迫害下に苦しむ初代教会の人々を励ますために書かれています。
この記事は、ヴィジョン(幻)の形で描かれていて、一口で言うと「天上の礼拝風景」です。二十四人の長老たちと様々な生き物(被造物)たちが、天の御位の周りに集まり、「聖なるかな…」(8節)と、こぞって主を賛美している風景です(本日の旧約のテキスト=イザヤ書第6章1節以下参照)。
これは単なるユートピア(理想郷)としてではなく、信仰の確信によって、「来るべき地上の礼拝風景」として描かれたものであることに気付かねばなりません。
地上の礼拝は、「来るべき天国の礼拝」を先取りするものです。したがって、現在の教会の礼拝も、天上での礼拝の先取りとして行われるものであり、信仰を基盤にしたヴィジョンの中で行われるものなのです。そこには、地上の礼拝は、やがて来るべき教会の礼拝風景の一部であり、完璧な天上礼拝の地上での現実化を期待しながら行われるものであることが示されています。
立教大学離職後、小浜の教会に四年間勤務していましたが、まことに厳しい状況の中で礼拝が守られていました。小さな集まり、小さな礼拝は時としてわたくしたちをガックリさせることがあります。将来を思うと、いったいどうなるのかとさえ悲しい気持になってしまいます。しかし落胆しているわけにいきません。
そのような寂しい教会の礼拝でも、本質的には、「天上の礼拝」の先取りですから、それは恵みの場でもある筈なのです。しかも、やがて来るべき、実現されるべき礼拝へのヴィジョンとしての性格を持っているのですから、どんなにみすぼらしい礼拝風景であっても、来るべき、実現されるべき地上での礼拝への期待として行われる以上、その期待を失ってはならないと考えたものでした。そういう意味で、どんな教会でも常に、信仰に基づくヴィジョン(夢)、期待の中で礼拝をしていることを忘れてはなりません。
教会の発展は、牧師だけが負うのではないことは周知のことと思います。牧師も信仰に根ざしたヴィジョンの中に伝道活動をしなければなりませんが、信徒も一人一人、少なくとも教会について信仰的にヴィジョンを持たなければなりません。一人一人、もう一度、そのようなヴィジョンを持っているかどうか、吟味することを促されていると思います。
幸い、私どもの教会は、教会委員会や婦人会等でも、また一般信徒の中でも、一人一人の発言力が増し、礼拝出席、献金等も目に見えて活発になり、その上に、牧師館・ホール建設に向かって、一致団結、そのヴィジョン実現に向かって、皆さんが努力してくださっていることは感謝に堪えません。
そういうわけで、信仰生活とは、神の国のヴィジョンに生きることではないでしょうか。信仰に根ざしたヴィジョンに対しては、主ご自身が必ず力をお与えくださるであろうことを共々に確信し、同時に一人一人が、神の国のヴィジョンに生きてゆきたいと思います。このヴィジョンがいま、平和実現にも一番必要とされていることでしょう。