今月の説教要旨
2004年8月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2004年8月1日(聖霊降臨後第九主日)

『心の豊かな人』

(テキスト=『ルカによる福音書』第12章13〜21節)

 本日の使徒書に、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」(コロサイの信徒への手紙3:16)とあります。

 あるとき、犬を散歩させていると、誰かに声をかけられたり、会釈されたりしたことがあります。また、教会表の通りの草けずりをしていたら、通りすがりの人から、「ご苦労様です」と声をかけられたりもしました。田舎の川べりに散歩に行って、橋の上から鮎釣りを眺めていたら、自転車の少年に「こんにちは」と声をかけられたことがありました。こんなときは本当に気持ちが良いものです。そしてこんなとき、「心の豊かな人」を思い浮かべます。

 人間の心がどんどん「さめた」ものになって行くように思える現代。人の前にも、神の前にも心豊かでありたいと思うのはわたくしだけではないでしょう。「心の豊かさ」を阻むのは、人間の「貪欲」ではないでしょうか。人間は自己中心的で、富・財産・名誉・地位等を求めたがります。この世のものに拘り、自らの利益を追求して止まないところがあります。「貪欲」は「罪」の始まりです。

 福音書でイエス様が、ある金持ちの譬(たとえ)の中で、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」(ルカによる福音書 第12章15節)と教えておられるとおりです。旧約テキストのコヘレトの言葉も、この世にどんな労苦によって遺産を遺しても「空しい」と教えています。福音書の譬も同じで、「貪欲」は更に「貪欲」を生んでしまい、「心の豊かさ」をもたらさなないことを教えているように思います。

 この倫理的な真理はどこの国でも、大切な教訓として知られることです。例えば、幼児のおとぎ話にもよく表されています。日本のものでは『花咲かじいさん』、『舌切り雀』等、西洋のものでは『金の魚』はわたくしたちの心の中によく残っています。いずれも、欲張り、「貪欲」が空しいものであることを子供にも教えているものです。

 最近、熊野古道を含めた紀伊山地が、世界遺産に指定されました。南方熊楠が日本でまだ誰も「環境破壊問題」に気づいていない頃、自然環境について深い研究をし、それを一生懸命守る努力をしたことが、今度の世界遺産指定に繋がっていると思います。熊楠の「豊かな心」がキリスト教精神にも通ずる、「神の造られた秩序」を守ろうとしたことはわたくしたちにも大きな感動を与えてくれたと思います。

 人間は、「地上に宝(富)を積むこと」ばかり考えていますが、このまま行けば、次世代にどんな世界を遺すのかとの憂いがよぎります。イエス様の言葉を思い出しましょう。

 「あなたがたは地上に富を積んではいけない。」「富は天に積みなさい。」(マタイによる福音書6:19-20)

 「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また、自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」(同 6:25-26)

 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか。」(同 16:26)

 先週の特祷で、神は我々の必要を、我々が願うより先に知っておられることを学びました。神様は常に必要な恵みを備えていてくださいます。ですから、地上に宝(富)を貯えることに執着せずに、神様の前にへりくだり、「感謝」をもって一日一日を生きてゆく姿が尊いこととして、イエス様も教えておられるのです。

 大切なことは、天に宝(富)を積むこと、イエス様の言葉を自分の内に豊かに宿らせること、神様の前に豊かになることを目指し追い求めねばならないということです。貪欲に地上に富を積んでも何もなりません。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカによる福音書 12:21)と今日の福音書に結ばれているとおりです。

 「心豊かな人」とは神の前に豊かな人だと言えないでしょうか。