今月の説教要旨
2005年4月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2005年4月3日(復活節第二主日)

『教会の使命』

(テキスト=ヨハネによる福音書 第20章19節〜31節)

 先週わたくし達は「満員御礼」状態で主の御復活を賛美し、お祝いしました。礼拝と祝会を通して喜びに満たされ、新しい力を与えられ、且つ、教会に連ねさせられている幸せをつくづく感じさせられました。

 主の御復活は教会を生み出してくれました。主の御復活は弟子達を「教会」として召されたように、わたくし達の教会も、「生きた石」「霊的な家」「聖なる祭司」(ペトロの手紙一 2章5節)としての恵みと使命を与えられています。

 主の御復活によって与えられた「使命」を整理しておきましょう。

 第一に、教会は「平和」を証しするものです。本日の福音書で明らかなように、復活されたキリストは弟子達に現れ、「平和があるように」(ヨハネによる福音書 第20章19、21、26節)と言われました。

 イエス様の誕生のとき、天の軍勢が、「いと高きところには栄光、地には平和」(ルカによる福音書 第2章14節)があるようにと歌いました。ですから、キリストの誕生から復活に至るまでの聖書のメッセージは「神による平和」であります。復活は「神による平和」を証しする「教会」を召し出す出来事に他なりません。

 それ故、わたくし達の教会も、神による平和(祝福)と神の力を、この世に証しするために用いられているのです。

 第二に、教会は「インマヌエル」(神は我々と共におられる)(マタイによる福音書 第1章23節)を証しするものであります。主の御復活も、「インマヌエル」を証しするものでした。復活のイエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書 第28章20節)と言われた約束がこの世に成就しました。

 主の誕生から復活まで、「インマヌエル」が証しされ、そして、主の御復活によって教会が召され、「インマヌエル」(神は我々と共におられる)ことを伝える器とされたのです。

 第三に、教会は「新しい命」(元気)を証しするものです。

 主の御復活は新しい命を弟子達に与えました。散り散りになっていた弟子達は再びひとつとされ、死んでいたのに生き返ったのでした。命はあらゆる意味での<元気>です。ペトロは「それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(ペトロの手紙一 第2章9節)と教えました。「力ある業」とは主の御復活のことであり、新しい命(元気)をこの世のすべての人々に伝え、分け与えて行く器として召されているのも「教会」です。

 第四に、教会は神の愛を証しするものです。

 主の御復活は死人を生かす神の愛の出来事でありました。

 十字架のイエス様を通して、神の赦しが与えられ、弟子達にも、わたくし達教会にも、復活の世界が開かれたのでした。十字架の七語の一つ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音書 第23章34節)というキリストの言葉は、弟子達、わたくし達の教会、世界の全ての弱い人間に対する究極の「愛の言葉」であります。あらためて、教会は神の愛の「証言者」として召されていることを心に命じなければなりません。主の御復活は、神の愛と、人としての愛の現れであるからです。

 神の愛とキリストの愛こそ、世の人々を本当に生かすということを、教会は証しし続けねばならないのだと思います。


 ヨハネによる福音書の締めくくりに、「このほかにも、イエスは弟子達の前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(同 第20章30〜31節)と記されています。

 聖書によってわたくし達教会も「命を受け」、教会はこの聖書の命のメッセージを世に伝えるために派遣されていることを、しっかりと受け止めたいと思います。