今月の説教要旨
2005年5月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2005年5月1日(復活節第六主日)

『小さな恵みへの感謝』

(テキスト=テモテへの手紙一 第4章1節〜5節)

 「(彼らは)結婚を禁じたり、ある種の食物を絶つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。」(テモテへの手紙一 第4章3節〜4節)

 パウロの同労者テモテの周辺で、ある問題が起こり、パウロが取り急ぎ手紙で注意を与えています。

 その問題とは、結婚禁止、食物禁止を必要以上に主張する教会指導者たちが出て来たことです。要するに、禁欲主義を徳として教える人々がはびこってきたということです。

 禁欲主義というものは、どの宗教にも見られるもので、訓練のために意味を持ちます。しかし、禁欲主義はしばしば人間の肉体の欲望を悪と決めつけてしまい、魂の自由性を殺してしまうことがあります。キリスト教の歴史の中でも、長い間禁欲主義が人間の魂の自由を奪い、抑えつけていました。ルネサンスや宗教改革なども、その辺の見直しの一役を果たしてくれました。

 IWC(国際捕鯨委員会)というのが開かれますが、北欧や日本など捕鯨実績を持つ国は、捕鯨禁止の強い圧力を受けています。

 資源の食いつぶし、環境破壊、動物愛護という点から反対国は強く禁止を主張しています。他方、捕鯨で生計を立ててきた人々や貴重な食料としてきた国々からすれば、取り過ぎはいけないことは分かっていても、「神がお造りになったもの」を「神の恵み」としていただくのがなぜ悪いのかとさえ思えます。

 会議では、これら両方の立場の間でスレ違いとなっているようですが、日本への外国からの目は何かにつけ厳しいようです。どうも、日本は野蛮で強欲な国と見られてきた印象が強いですが、確かにそう見られても仕方のないこともしてきました。

 しかし、神の恵みに対する感謝は、教会のもっとも基本的なものであります。パウロが言うように、神の被造物はみな良いもの。それを神の恵みとして感謝して受けていくことは間違いではありません。神の恵みを拒否する必要はありません。ただ、節度・限度はあります。

 なぜなら、神が万物を造られたとき、人間はそれらを「支配」(管理)させようとされたことが創造物語で語られているからです。

 確かに、全てのものは神の恵みとしていただいたらよいのですが、他の被造物が、人間によって滅びることも、あってはなりません。人間はこれらをよく管理する必要があるからです。ですから、自然破壊、資源枯渇問題が生じているのです。

 このような状況の中で、教会は最も教会生活の基本である神の恵みへの感謝ということを徹底して生きること、その生活の中で、神の善を証しして行くことが大切ではないでしょうか。

 何事にも先だって教会は感謝を捧げるのはダテではありません。単なる習慣でもありません。小さな食物のためにも、主に手を合わせて感謝していただくことの徹底が必要だと思います。神の恵みへの感謝は、キリスト教信仰と教会生活の基本だからです。

 何が悪であるかを見分けるのがむつかしいように、何が神の恵みであるかを見分けるのも簡単ではありません。しかし、小さな神の恵み一つ一つを見分けて、感謝を徹底して行くことこそ、教会の今日の証しではないでしょうか。それは教区の今年の目標「針の穴計画」の趣旨にも通ずるものと思います。

 本主日は、5日(木)の昇天日を前にした昇天前の主日で、昔からロゲーション・サンデー(祈願の日曜日)」と呼ばれ4日(水)までの日々はロゲーション・デイズ(祈願の日)にあたります。この期間中、あらゆることを祈ることになっているのですが、これは470年イタリアのヴィエンナ大聖堂でのミサ中に大地震が起こったというエピソードから始まったものでした。

 このとき、会衆は皆逃げ去りましたが、マネルタス主教ひとり残り祈られたこと、それ以来、この時期に毎年信徒といっしょに町や畑を行列して歩きながら祈ることになりました。その祈りが今日の「嘆願」(連祷)となっています。祈りの大切さが教えられます。