今月の説教要旨
2005年6月
(牧師) 司祭 マタイ 西川 征士

2005年6月5日(聖霊降臨後第三主日)

『聖フランチェスコに学ぶ』

テキスト=マタイによる福音書 第9章9節〜13節
特祷・聖餐式聖書日課 特定5

 信仰の実践の期節にあたって、聖フランチェスコから学びたいと思います。

 聖フランチェスコはキリスト教歴史上極めて有名な聖人・修道僧でありました(1181〜1226)。彼はイタリアのアッシジの富裕な商人の長男として生まれ、自由な教育を受け、成人しました。彼本人は騎士にあこがれ、親は公爵になることを望んでいたそうです。

 ペルージャとの戦いで捕虜として1年を過ごし、続いてシチリアとの戦争への出征の途中から病気になり、家に帰ってからも、貧しい人や病人の惨めな姿を見て心を動かされ、人生について悩むうち、聖書との出会いから回心の経験をしました。キリストと貧しい人々への愛に目ざめさせられ、自分の財産を全部売って貧者に施しをして廻るようになりました。家事も家族も捨てて托鉢までするようになり、純真で情熱的な彼も魂は益々キリストに純粋に従うことと、貧しい人々や病人たちのための奉仕へと駆り立てられて行きました。

 そして、キリストの言葉を文字通り実践することに自分の生涯の方向を定め、一切を捨てて福音の説教をして廻る一方、清貧に甘んじつつ荒廃した礼拝堂の再建や奉仕の日々を過ごして行きます。

 周囲の多くの人から嘲笑されましたが、次第に彼の純粋な信仰と生き方に感銘を受けた若者たちが彼のところに集まり、行動を共にするようになり、その集団はやがて、フランシスコ会という新しい型の修道会となりましたが、彼は組織を意識することなく、ただ<小さき兄弟たち>と呼ぶことで満足していました。

 しかし、段々とその集団が大きくなるにつれ、組織化の必要も出てきて、無所有を理想とする彼にとって重荷になり始めます。

 そのうち、ローマ教皇によって、彼らの活動と組織が公認され、修道会としての規則を定めたりせねばならないような破目になり、フランチェスコは純粋な生き方を守れず、大変苦しまねばならなくなりました。それで、遂に仲間のエリアスをその集団のリーダーとする一方で、自分は山にこもって祈り、今後の生き方に対して神からの語りかけを必死に待つのでした。

 もうその頃、彼の病気は進み、厳しい生活から、眼も殆ど失明に近い状態でした。遂に彼が熱烈に祈っていたとき、雷にでも打たれたようになり、両手足、わき腹に、キリストの十字架の傷痕を受けたという話はあまりにも有名です。

 神からの語りかけを受けた彼でありましたが、病気が重くなり、アッシジに帰り、間もなくその生涯を終えたのでした。彼の死後、フランシスコ修道会は大きく発展し、大きな働きをしました。

 フランチェスコの生き方は、自己中心性、特に富の蓄積を批判し、小さき者の側に自らを置き、また、労働を金銭から切り離すことによって純粋な奉仕とし、所有と資本蓄積に対する抵抗を試み、更に、すべての存在に愛をもって生きる態度は多くの人々に影響を与えました。

 「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」(コリントの信徒への手紙1 11:1)との聖パウロの言葉があります。フランチェスコから学ぶことは、その生き方が純粋にキリストに従い、キリストに倣って生きるという姿であります。

 フランチェスコが、<キリストに最も似た人>と評せられるように、キリストの生き方は少しでも、単純に真似るような生き方は、わたくしたちにも求められている生き方ということが出来るでしょう。信仰の実践とはそういうことではないかと思います。

 フランチェスコの生き方の基本は、唯、神からの語りかけを純粋に<聞く>ということに据えられていたのだと思います。『フランチェスコ』という映画の中でも、「学問もないわたしは、神様の言葉をただ聞くしかないのです。」と彼は言っていました。神の憐れみを受け、人を哀れむ。−−それが信仰の実践ということではないでしょうか。

 「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういうことか、行って学びなさい。」(マタイによる福音書 9:13)