| 今月の説教要旨 2005年7月 |
| 2005年7月3日(聖霊降臨後第七主日) |
『不思議な神の摂理』
テキスト=ローマの信徒への手紙 第11章33節
ちょっと前に、家内が書いた『辻オルガンに寄せて』という小文を皆さんに配布いたしました。市の歴史資料室の調査と自泉会館でのコンサートでの古いリードオルガンとの出会いから、「辻オルガン」の制作者・辻茂治(当教会の創設時の信者)との不思議な出会いを経験したことを書きました。
先週の主日は紀伊宮原で伝道区信徒の集いが開かれ、午後の講演で、中村允之兄が、幼い頃の教会での想い出を、ほんの少しお話しされました。四代目の信者であることを初めて知って、わたくしもたいへん感動しました。
つい先頃、ある古い逝去信徒のことを古い教籍簿を繰って調べていたら、この教会の信徒で古い家系の方が多いことが分かり、これも感激。熊取谷家の方々は一体何代目なのかと驚かされるほど、先祖信者の方々の名前をたくさんみつけました。
こうして、最近わたくしは改めて、不思議な神様の御摂理を、しみじみと自分の中でも思いめぐらしています。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」(ローマの信徒への手紙 11章33節)と、パウロも神の摂理の不思議さを深々と感じていたようです。
保守的・律法的ユダヤ教信者であった彼が、大改心の経験によって、キリストを迫害する者から逆にキリストを宣べ伝える者とされました。神の恵み・神の富・知恵の深さ、神の摂理の不思議さを体験した代表者でもあります。
聖歌321番、「神の恵みはいと高し」、「神の恵みはいと深し」、「神の恵みはいと広し」。いい歌ですね。神の一切の恵み、神の真理−それは到底人知で測り知ることができないほど、高く、深く、広いものです。
「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり」なさいともパウロはエフェソの信徒への手紙3章18〜19節で言っています。
またわたくしたちは、聖餐式の聖別祷の終わりで(祈祷書176ページ)、「わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方に……栄光が世々に限りなくありますように アーメン」(エフェソの信徒への手紙3章20〜21節)と唱えています。
旧約のヨブ記の物語もやはり、「計ることのできない神の恵み・働き・富・知恵・愛・思い」を伝えているものであると思います。
神に忠実であったヨブが次々と苦難に出会うのですが、その信仰はゆるぎませんでした。しかしやがて、自分には何も残っていない状態にまでなった時、悪魔に誘惑され、自分が生まれてきたことを呪い、神を呪うようになりました。遂に、風の中から神の声がひびきます。「無知の言葉をもって、わたしの計りごとを暗くするのは誰か」と。(口語訳ヨブ記38章2節)
神の御計画、思いやり、恵み−それらは人知・経験によって軽率に判断してはならないことを教えているのだと思います。神の不思議な摂理への信仰を教えているのだと思います。
「何故、わたしが居るのか」ということも神様による不思議な不思議な摂理ではありませんか。別に「わたし」でなく、別の女の子、別の男の子が、わたしの代わりに生まれてきてもよかったのです。よりによって、この「わたし」でなくてもよかったはずです。にもかかわらず、「わたし」が居るのです。なんと不思議ではありませんか。
教会の出会いも人様々です。幼児の時からの信者もいますし、成人になってから信者になった人もいます。一代目の信者がいれば、四代目の信者もいます。神様との出会いの経緯も人それぞれですが、みんな不思議なものです。
自分の生い立ちや歴史、いろいろふり返ってみる時、多くの神の不思議な摂理が働いているかを知らされます。この不思議な神の摂理を感じることによって、深い感謝の心が湧いてくるのです。それを感じ取れるように聖い経験を重ねて行きましょう。